――言葉はおぼつかなくても、席には着け――

10月2日夜に行われたG7緊急首脳オンライン会議を、日本の高市首相は欠席した。代理として画面の前に座ったのは、政治指導者ではなく外務審議官――ひとりの官僚だった。この事実を知ったとき、強い憤りと同時に、言いようのない空虚感を覚えた。

 

 

首脳会議とは、各国の最高責任者が直接顔を突き合わせ、政治的決断と国の威信を懸けて激論を交わす場である。影響力を行使できるG7の中に席をもちながら、わが国の高市首相は一人の官僚を座らせて済ませた。

 

G7首脳会議は首相にとっては最もプライオリティの高い職務である。単なる日程調整の不手際などは欠席の理由にはなり得ない。それは、日本外交の自殺行為であり、主権者である私たち国民に対する重大な裏切りである。

 

 

「ディスプレーの手配が…」という言い訳の惨めさ

10月16日の参院予算委員会で、立憲民主党の辻元清美議員がこの問題を厳しく追及した。「なぜあなただけ出なかったのか」「世界の真ん中で咲き誇ると言っていたが、これでは世界の隅っこに追いやられるのではないか」と迫る辻元氏に対し、首相から返ってきた答弁は信じがたいものだった。

  • 「開催時間が直前まで分からなかった」

  • 「オンライン会議用のディスプレーの手配を業者に依頼したが、準備が整わなかった」

  • 「米欧間の問題だったため、代理出席でよいという話を受けた」

  • 「会議の時間帯は公邸で所信表明演説を書いていた」等々。

危機管理の最高拠点である首相官邸にいて「業者の画面手配が間に合わない」とは一体何の冗談だろうか。さらに、会議直前の時間帯には自民党幹部らと酒席を共にしていた事実まで報じられている(首相本人は「出欠とは無関係」と弁明したが)。

 

これに対し、芥川賞作家の平野啓一郎氏はXで「こんな馬鹿げた答弁を官僚が準備するだろうか?」「例によって、首相のその場凌ぎの出任せではないか」「酒飲んでG7の会議をすっぽかすなど、前代未聞。言語道断。辞任しかない」と切り捨てた。

 

最初から参加する気概も覚悟もなかったからこそ、後付けの不条理な言い訳を並べ立てることになるのではないか。そう疑われても弁解の余地はない。

 

訥弁英語でもいいから日本国民を代表して述べてもらいたい

日本の国会議員となる者は、巡り合わせひとつで「この国を背負い、世界と渡り合う立場」になり得る覚悟を持たねばならない。まして首相の椅子に座る人間ならなおさらだ。

 

流暢な英語を操る必要などない。カメラの前で愛想よく笑う必要もない。通訳を介してでも構わない。日本の国民を代表して「我が国はこう考える」「この事態にどう責任を果たすのか」を、世界の首脳たちに対して自分の口から発言する。それこそが首脳外交の本質であり、国家トップに課せられた絶対の責務だ。

 

「自分には荷が重い」「話の輪に入る能力がない」と尻込みし、官僚の後ろに隠れて演説原稿の手直しに逃げ込むような人物に、一国の舵取りを任せるわけにはいかない。もし急病や不可抗力で出られないのなら、堂々とその理由を明かし、最低でも内閣官房長官や外相を代理に立てて政治責任を担保すべきだった。官僚を盾にして済ませたこと自体、リーダーシップの放棄にほかならない。

 

問われているのは、私たち有権者の「選ぶ覚悟」だ

いまの永田町を見渡せば、派閥の力学や内向きの権力闘争に明け暮れ、国家の命運を世界の中で背負う気概を持たない政治家があまりにも多すぎる。しかし、その「ダメな連中」に議席を与え、首相の座への道を作ったのは他でもない、私たち有権者の1票だ。

 

「国内向けの耳触りの良いフレーズ」や「パフォーマンス」に惑わされ、有事の際に世界と対等に渡り合える肚(はら)が据わっているかどうかを見極めてこなかったツケが、この「G7すっぽかし」という国際的醜態となって跳ね返ってきたのではないか。

 

政治家の劣化を嘆くだけでは何も変わらない。「日本の代表として世界に立たせるに足る人物か」

その覚悟と器を冷徹に見定め、選び取る責任が、私たち国民一人ひとりに突きつけられている。

 

おわりに――この国が「食えなくなる日」を防ぐために

日本という国の成り立ちを、私たちは今一度思い出すべきだ。食料も、日々の生活を支えるエネルギーも、産業の基盤となる鉱物資源も、その大半を海の向こうからの輸入に頼っている。

 

日本人が明日も生きていけるかどうか、その土台を支えているのは「航路の安全」であり、「自由貿易の維持」であり、国民が精いっぱい頭を使い、体を動かして外貨を稼ぎ出す力にほかならない。

 

この冷徹な地政学的現実を踏まえれば、日本という国家において最上位の政治課題は「外交」以外にあり得ない。

 

それにもかかわらず、いまの日本社会の空気はどうだろうか。外交を「形式張った儀礼的なお付き合い」程度に侮り、政治といえば「地元での泥臭い人脈づくり」や「利権誘導のどぶ板選挙」のことだと勘違いしていないか。

 

世界が激動し、資源やサプライチェーンを巡って剥き出しの国益がぶつかり合っている時代に、内輪の権力ゲームに興じる政治家と、それを容認する有権者の鈍感さ。このような内向きの怠慢を続けていれば、日本は21世紀前半のうちに確実に「食えない国」へと転落するだろう。

 

世界と切り結ぶ覚悟を持たない首脳のG7欠席劇は、まさにその破滅の兆候である。「生き残りをかけた外交」を戦える指導者を国会へ、そして首相官邸へと送り出すこと。それはもはや政治的信条の違いを超えた、日本人が生き延びるための最低条件である。

 

(付記:本記事の構成・論点整理にあたっては、AIアシスタント「Gemini」との対話・推敲支援を活用しています)