ー日本人は未だに自分たちの共同体としての国を持ったことがないー


 

日本人はよく「愛国心がない」「国家意識が希薄だ」と言われる。数年前に「保育園落ちた日本死ね」という言葉が物議を醸した際も、多くの人々は制度の不備を嘆くばかりで、「国家が滅びれば自らも子も生きていけない」という主権者としての当たり前の当事者意識を持つ者はほとんどいなかった。

しかし、なぜこれほどまでに日本国民には「自分たちの国」という意識が欠如しているのか。国民の怠慢や教育の不備のせいではない明快な理由が存在するのである。それは、日本人は歴史上一度たりとも、国民自身の手による「主体的共同体としての近代国家」を持ったことがないからだ。

我々の歴史は、支配層の看板と後ろ盾がすげ替えられてきただけの「被支配のバージョンアップ史」に過ぎない。


伊勢講が物語る本来の日本共同体


かつての日本人に、自発的な精神の紐帯がまったく無かったわけではない。むしろ江戸時代までの民衆は、政治権力とは完全に切り離された形で、精神的共同体を持っていた。

その象徴が「伊勢講」であり、伊勢講が目的とする「お伊勢参り」である。1950年代、私の田舎にはまだ「伊勢講」の習俗が残っていた。村人たちが少しずつ金を出し合い、おそらく年に一度、村の代表者を伊勢神宮へ参拝に送り出すのである。

 


筆者が幼少のころ体験した伊勢講によるお伊勢さん参り


 

庶民の移動が厳しく制限されていた封建時代にあっても、伊勢参りだけは特別に許され、全国津々浦々に張り巡らされたこの草の根ネットワークを通じて、民衆は伊勢とつながっていた。

天皇の祈りの場である伊勢神宮は、五穀豊穣と人々の平穏を祈り続ける場所であり、民衆にとって天皇とは、命令を下す権力者ではなく「はるか雲の上から自分たちの安寧を祈ってくれる究極の存在」であった。

政治の実権を握る徳川幕府と、祈りと文化の象徴である天皇。権力と権威が分離していたからこそ、民衆は幕府の過酷な支配下にあっても、信仰によって結ばれた精神的空間を保ち得ていたと思われる。


薩長による「天皇の政治的誘拐」


この自然な結びつきを暴力的に破壊したのが、明治維新における薩長新政府であった。西国の下級武士を中心とする軍事勢力に過ぎなかった薩長閥は、全国を統治するための絶対的な正当性を欲した。

彼らが行ったのは、京都の御所から天皇を東京城へ連れ去り、最高司令官(大元帥)の軍服を着せ、自らの権力基盤として独占することだった。

これは民衆の側から見れば、「自分たちの精神的支柱であった天皇を、特定の権力奪取集団が『人質』として囲い込み、私物化した」事件と言えないだろうか?

彼らは古来の穏やかな神仏習合の信仰を廃仏毀釈で叩き壊し、神社を国家統制下に組み入れ、本来の祈りの中心であった伊勢神宮に並べて、国家のために命を消費させられた日本人を祀る「靖国神社」を軍事動員の頂点として据え付けた。

「政府の命令に従うこと=天皇への忠誠」という教義を国民に刷り込むことで、為政者への批判はすべて「不敬」「朝敵」として封殺された。敬愛する象徴を人質に取られた国民は、政治の誤りを追及する術を奪われ、その結果として破滅的な戦争へと駆り立てられていったのである。


1952年以降の更なるバージョンアップ――対米従属と利権政治――
 

あの悲惨な敗戦を経てもなお、日本人が自らの手で「主権者としての国家」を創生することは叶わなかった。1952年の講和以降、戦前の薩長閥の系譜を引く日本の保守政治家たちは、新たな後ろ盾を見出した。それが「米国(GHQ)」である。

冷戦構造の中で日本を反共の防波堤として都合よく利用したい米国と、支配権力を維持したい保守本流(1955年結党の自民党)の利害が一致した。彼らは天皇を「象徴」の座に据え置くことで米国への盲従の証とするとともに民衆の不満を逸らした。

彼らの政治とは、国家の安全保障を丸ごと米国に外部委託しながら、国内では土建事業や地方利権をばら撒くことで利権構造を作り上げ、それを基礎とする「ドブ板選挙」によって国民を懐柔した。

国民は豊かさと引き換えに、「自国の運命を自ら決定する」という近代の国際慣習として認められた主権者としての権利と義務の両方を放棄させられた。お上にぶら下がり、施しを待つだけの「領民」にとどまることを強いられ、また自らも利権とどぶ板選挙の構造をそれを安易に受け入れてしまったのである。

おわりに ――「ぬるま湯」を脱し、真の国家意識を創生せよ――

 

江戸時代の武士階級による支配。明治以降の薩長閥による天皇私物化の支配。そして戦後、米国と結託した自民党による利権構造による支配。看板と方法がバージョンアップしてきただけで、本質的な「被支配構造」は今日に至るまで何一つ変わっていない。

国民が自分たちの責任において統治の青写真を描いたことなど、日本の歴史上一度もない。だからこそ、国への愛着はあっても「国家意識」は芽生えず、戦争責任もまるで天災のように曖昧に処理されてきたし、それに対する疑問も湧かなかった。

日本人がこの長きにわたる「お上の支配」というぬるま湯から抜け出し、他者や自らの歴史を論理的・批判的に検証する厳しさを引き受けない限り、真の近代国家は誕生しない。

天皇を権力者の道具から解放し、本来の伊勢神道の祈りと文化の象徴へと戻すことで、国民の敬愛は継続するだろう。そして、地方利権と外部依存にまみれた政治構造を打ち破り、一人ひとりが自立した主権者としてこの国を担う覚悟を持つこと。

そこから初めて、日本人は歴史上初めて「自分たちの共同体」としての日本国を手にすることができると思うのである。

 


【追記】 本稿は、AI対話モデル「Gemini」との対話・推敲作業を活用して作成しました。