――政府の言葉ではなく、日本の国益から考える――
はじめに――プーチンの択捉訪問と加藤登紀子氏の発言
2026年8月、ロシアのプーチン大統領が択捉島を訪問した。これに対して日本政府は抗議した。日本政府の立場は、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島は「日本固有の領土」であり、現在ロシアによって不法占拠されている、というものである。
その数日後、歌手の加藤登紀子氏がテレビ番組でこの問題について発言した。自分でもいろいろ調べたという加藤氏は、ロシアが現在これらの島を「領有」しているという趣旨の発言をした。番組側は「領有」ではなく「実効支配」と補足したが、この加藤氏の発言は、ネット上を中心にかなり大きな反発を招いた。反発の一つを以下に紹介する:
https://www.youtube.com/watch?v=MXoN4P5paPI
私はむしろ、この発言をきっかけとして、日本国民は北方領土問題を原点から考えてみるべきだと思った。その意味で、加藤氏を批判するのではなく、むしろ政府見解とは異なる考えを公の場で示した加藤氏の勇気ある発言に感謝すべきだと思う。
自分で資料を読み、自分で考えることで、自分自身の意見を作り上げるべきである。国民一人一人が自分の意見を持ち、その総体によって政府の外交を制御すべきなのだ。
1.サンフランシスコ平和条約に何が書かれているのか
北方領土問題を考える第一の原点は、1951年のサンフランシスコ平和条約である。その第二条(c)で、日本は「千島列島」に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄した。
そして、1951年10月19日の国会で、西村熊雄条約局長は、平和条約にいう千島について「北千島及び南千島を含む」と答弁している。この南千島とは国後、択捉を指していた。一方、歯舞、色丹については、当時から北海道に付属する島であって千島には含まれない、というのが当時の日本政府の理解であった。
ところが、現在の日本政府は、国後、択捉、歯舞、色丹の四島すべてについて、サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には含まれないと説明している。
ここに、現在の日本政府による北方領土についての説明が抱える根本的な問題がある。日本はサンフランシスコ平和条約によって千島列島へのすべての権利、権原及び請求権を放棄し、その条約締結直後の日本政府自身が国後、択捉をその千島列島に含めていたのである。
それにもかかわらず、その後の日本政府は国後、択捉まで含めた北方四島を「我が国固有の領土」であり、サンフランシスコ平和条約で放棄した千島には含まれない、と説明するようになった。
では、なぜ日本政府の説明はその後このように変化したのだろうか。この変化を考えるうえで無視できないのが、1956年の日ソ交渉に対する米国の介入である。
2.1956年の日ソ共同宣言に向けた交渉と米国の干渉
次の重要な資料が1956年の日ソ共同宣言である。ここで日本とソ連は戦争状態を終結させ、外交関係を回復した。そしてその第9項に、ソ連は平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本へ「引き渡す」ことに同意したと書かれている。
日ソ共同宣言では、両国は外交関係を回復するとともに、その後も平和条約締結に関する交渉を継続することに合意した。国後、択捉についての記述はない。
1956年の日ソ交渉に、米国は直接介入した。8月19日のダレス国務長官と重光葵外相との会談で、ダレスはサンフランシスコ平和条約第26条を持ち出した。日本がソ連との平和条約によってソ連にサンフランシスコ条約以上の利益を与えるなら、米国にも同様の利益を与えなければならない、というのである。
さらに米国政府はこの問題を検討し、9月には日本政府に正式な覚書を渡した。注目すべきなのは、米国自身が国後、択捉をソ連が返還する可能性は低いと認識していたことである。それにもかかわらず、日本が国後、択捉への主権要求を放棄しない形を求めた。
その結果、歯舞、色丹の引き渡しを条件として日ソ平和条約を締結する道には、大きな障害が置かれた。
当時は冷戦の真っただ中である。米国にとって、日本とソ連の接近を抑え、日本を自国の安全保障体制につなぎ止めることは重要な戦略であった。日ソ間に解決困難な領土問題が残ることは、米国にとって好都合だったのである。
3.領土問題を外交の目的にしてよいのか
ここからは法律論ではなく、外交そのものを考えたい。外交の目的は、歴史論争や法律論で相手を言い負かすことではない。長期的な日本国民の利益を最大にすることである。
日本政府は何十年も「北方四島は日本固有の領土である」と主張してきた。しかし四島は返ってこず、平和条約も締結されていない。米国に従っていれば日本は平和を維持し、これまでの繁栄を維持あるいは発展させることができるというのであれば、それも一つの国家戦略である。
しかし、政府の主張が法的に正しいかどうかと、その外交政策が成功しているかどうかは別問題である。ここで考えるべきなのは、日本はロシアとの敵対関係を長期化させてよいのか、という問題である。日本の今後を考えるなら、短くても30年程度の時間軸を持って外交を進めるべきであると私は思う。
言うまでもなく、日本には食料とエネルギー資源が乏しいという根本的弱点がある。一方、ロシアは日本の隣にある巨大な資源国家であり、世界有数の小麦輸出国であるだけでなく、石油、天然ガス、水産物、森林資源など、日本が必要とするものを豊富に持っている。
地理は変えられない。ロシアの現在の政権をどのように評価するかという問題と、ロシアという隣国との長期的な国家関係をどのように築くかという問題とは、分けて考えなければならない。
さらに、米国の圧倒的優位が永久に続くことを前提に外交政策を作ることも危険である。中国の経済力、軍事力、技術力が今後さらに増大する可能性を、日本は当然考えておかなければならない。
そのとき、日本にとって最も危険なのは、中国とロシアを同時に敵にすることである。日本自身がロシアを恒久的な敵国として固定し、中国側へ押しやることは、長期的には自殺行為に近いと私は考えている。
現時点では、米国との関係を維持しながら、中国とも関係改善を目指して交渉し、ロシアとも独自の関係を持つ。それが日本のような資源小国に必要な外交である。
おわりに――政府と違うことを言う人を排除してよいのか
今回、加藤登紀子氏が北方領土について政府見解とは異なる発言をしたところ、ネット上では強い批判が起こり、「このような人物をテレビに出すべきではない」という趣旨の反応まで現れた。
私は、この反応に強い違和感を覚える。加藤氏の発言がすべて正しいと言っているのではない。「領有」と「実効支配」は同じではないし、歯舞、色丹と国後、択捉も区別して検討しなければならない。
政府の説明が正しいと思うなら、資料を示して反論すればよい。加藤氏が間違っていると思うなら、条約や歴史的事実を示して批判すればよい。それが民主政治に不可欠な「議論」である。
われわれは日頃、政府は信用できない、政治家は信用できないと不満を言う。それならば、政府の説明を自分で検討しなければならない。何も調べず、何も考えないまま、ただ習慣や雰囲気で一票を投じるのであれば、主権者としての責任を果たしたことにはならない。
私は、加藤登紀子氏の今回の発言に感謝したい。結論に賛成するのではない。政府が長年繰り返してきた説明について自分で調べ、全国放送の場で異なる見方として述べた勇気は評価すべきである。
民主主義とは、政府が正しい答えを国民に教える制度ではない。国民が政府の言うことさえ疑い、異なる意見を聞き、自分で資料を読み、自分の頭で考える制度である。国民が国政を議論しなくなれば、その国の進路はやがて他国が決めることになる。
国民が自分で考えることをやめたとき、その国はやがて亡びるのである。
追記:文章の整理と資料の検索等にOpenAIのchatGPTの協力を得ました。尚、私の考えは何度もブログ上で発表していますが、代表的なものを一つだけ紹介させていただきます:
