先日、立憲民主党の古賀千景参院議員が国会で放った発言が波紋を広げた。「経済的に厳しい子どもたちが自衛隊に行く。豊かな子どもたちは自衛隊員とかにはならない」この発言に対し、与野党を問わず国会議員から強い批判が噴出し、古賀氏は発言を撤回することとなった。

https://www.youtube.com/watch?v=BuGauFbfyCk

 


私はこの騒動を見ていて、古賀議員の発言そのものよりも、その後に起きた議論の流れに強い違和感を覚えた。なぜなら、本来確認されるべき事実や制度の議論が行われず、「失礼だ」「差別だ」という感情論だけが先行したからである。


この問題は、自衛隊だけの問題ではない。日本人が国家や職業をどのように理解しているのかという、より根本的な問題を映し出している。

1.近代国家とは何か


近代国家とは、多数の人々が様々な役割を分担することによって成立する共同体である。
農業に従事する人がいる。工場で働く人がいる。医療を担う人がいる。物流を支える人がいる。政治を担う人がいる。そして国防を担う人がいる。


それぞれの職業は国家機能を維持するために必要であり、その役割を果たすことへの対価として給与が支払われる。本来、そこに職業の貴賤は存在しない。近代国家において重要なのは、その職業が社会の中でどのような機能を果たしているか、その効率は十分高いかなどである。


ところが日本では、職業を機能や契約条件などではなく、精神論や忠誠心によって理解する傾向が非常に強い。会社員は会社への忠誠を求められる。教師は教育への献身を求められる。看護師は奉仕の精神を求められる。そして自衛隊員には国家への献身が求められる。


もちろん使命感を持つこと自体は悪いことではない。しかし使命感を強調するあまり、その職業を支える制度や待遇の議論が封じられるならば、それは近代国家として健全な状態とは言えない。

2. 古賀議員は何を問題にしていたのか


古賀議員が問題視していたのは、子供向け防衛白書や学校現場における自衛隊の広報活動だった。その文脈の中で、「経済的に厳しい家庭の子供たちが、自衛隊という職業を選択する傾向があるのではないか」という趣旨の発言を行った。


子ども向け防衛白書の批判: 白書の中で「自衛隊の活動」や「周辺国の脅威」が強調されている点に対し、教育現場の視点から「子どもたちに過度な危機感を植え付け、防衛への義務感を煽るものではないか」という懸念を表明。 


更に古賀氏は:(自衛隊が)学校に入り込んで、子どもたちをリクルートしている。 家庭の経済的理由によって進学や将来の選択肢が狭められている子どもたちが、安定した公務員としての給与や待遇を理由に自衛隊というリスクのある職業を選ばざるを得ない構造があるのではないか。


つまり、彼女の頭の中にあったのは、「経済的徴兵制(Economic Draft)に類する構造が日本でも起きているのではないか」という、教育・福祉の観点からの国家批判・構造批判だったと考えられる。
本来ならば、「そのような傾向は存在するのか」「存在するならどの程度なのか」という事実確認が行われるべきだった。ところが実際に起きたのはそうではなかった。その入口のところでの上記発言が問題視され、門前払いとなったのである。



3.言論人による『理由なき断罪』の欺瞞

日曜日午後の人気番組「そこまで言って委員会NP」のレギュラーコメンテーターの須田慎一郎氏のyoutube動画を引用させてもらう。この中で、須田氏は以下のように話している:https://www.youtube.com/watch?v=nDkVc5CVNuA

 

 

この6月15日の参院決算委員会で古賀千景議員が 、「自衛隊には経済的に厳しい子供たちが行く。豊かな子供たちは自衛隊員とかなら ないと」いうですね、もうツッコミ所満載の発言 ですね、とんでもない差別発言、もう絶対に許してはならないような、発言というかですね、質問を行い ました。


ま、これに関してはですね、与野党を問わずですね、批判が相ついた わけなんです。言い逃れできない、ま、失言というか 問題発言だったということで、ま、全面的に追い込まれたということなんです。


この後、須田氏は古賀議員のあの発言が、自衛隊を侮辱したことになる理由をのべていません。理由を述べずに断罪する姿勢そのものが、彼ら自身も無意識にその前提(土俵)を共有していることを雄弁に物語っていることになる。

本来の議論なら、事実を調査したうえで自衛隊員の待遇をもっとあげる必要がありそうだという議論になる筈です。

 


4.議論はなぜ成立しなかったのか
 

元大阪府知事の橋下徹氏は、この問題について非常に興味深い指摘をしている。橋下氏は、「『自衛隊に失礼だ』と叫ぶ国会議員たちは形而上的思考だ。データに基づく形而下の議論が必要だ」と述べた。この意見に部分的には賛成である。しかし、橋下氏も本質を逃がしている。

< https://news.yahoo.co.jp/articles/cdf5641fbc4ef4c2be01b87f3cb1fafc2f6edcca

 

古賀議員の発言が正しいのか間違っているのかは、データによって確認されるべき問題である。ところが多くの人々は、その事実確認の前に、「自衛隊員に失礼だ」「差別発言だ」「許されない」という評価を下してしまった。


それは既に古賀議員の指摘が正しいことを知っているからである。その自信は、彼らも自衛隊には行きたくないと思っており、そして誰もがそう思うだろうと確信しているからである。つまり、都合の悪い話は国会ではすべきでないという考え方を共有しているのである。


これは、全ての国民が問題にすべきである。誤解がないように繰り返すと、問題にすべきは古賀議員の発言ではなく、都合の悪い話は国会ではすべきでないという考え方を多くの国会議員と政治評論家らは共有していることである。



5.自衛隊は聖職なのか


ここで改めて考えたい。自衛隊とは何なのだろうか。私は、自衛隊は国家にとって重要な仕事だと思っている。それは医者も教員も企業内での労働などが、重要な仕事であることと本質的な差はない。上で議論したように、いずれも国家の機能の一部を担当するからである。


しかし重要な仕事であることと、聖職であることは全く別問題である。自衛隊員の中には強い使命感を持って入隊する人もいるだろう。一方で、公務員としての安定性や待遇を重視して入隊する人もいるだろう。それは何もおかしなことではない。


看護師になる人にも様々な動機がある。教師になる人にも様々な動機がある。政治家になる人にも様々な動機がある。職業選択の動機は人それぞれである。


それにもかかわらず、自衛隊だけは純粋な愛国心だけで志願しなければならないかのような議論になる。私はそこに日本社会特有の精神主義を感じる。



6.子供向け防衛白書をどう考えるべきか


この子供のための防衛白書を配布し、国の防衛という側面、そして国防を掌る仕事の重要性を教えることは全く問題ではない。また、国防を担当するのは、相応の努力と覚悟が必要な仕事であるから、良い待遇が用意されているという一般論の話なら別段問題ではない。


ただ、「周辺国の脅威」に関して一般的な摩擦の範囲を超えた記述、過度に恐怖心や敵対心を煽るような演出になっていないか等のチェックが重要である。そのような記述は、国民に対する政治的プロパガンダになるからである。

結論
 

古賀議員の発言が正しかったかどうかは、本来データによって検証されるべき問題だった。しかし日本の政治空間では、事実の検証よりも先に「失礼だ」「差別だ」という道徳的評価が行われた。その結果、本来議論されるべきだった教育と国防の関係、自衛隊の人材確保、職業選択の実態といった論点は消えてしまった。


日本人は問題を見つけることよりも、波風を立てないことを優先する傾向がある。しかし近代国家において必要なのは、不都合な事実から目を背けないことである。問題を隠すことではなく、問題を可視化し議論することこそが政治の役割だからである。
 


追補: 議論の組み立てなどについて、google AIのgemini及びOpen AIのchatGPTの協力を得ました。