はじめに

近年、日本各地で熊による人身被害や農作物被害が頻発している。熊が市街地に出没する事例も珍しくなくなり、住民の生活や安全を脅かす深刻な社会問題となっている。

 

10日1900NHKニュースでも、宇都宮市周辺でも熊の出没が相次ぎ、学校運営や住民生活に大きな影響を与えていると報じている。トップのニュースとして報じたことには強く違和感を覚えるが、全国各地で同様の事例が続いており、多くの自治体が対応に苦慮している現状を反映している。

 

このような状況の中、元大阪府知事の橋下徹氏があるテレビ番組において、熊被害の問題は国政が乗り出して解決すべき課題であるとして、以下のような趣旨の発言を行い話題となった。https://smart-flash.jp/entertainment/entertainment-news/412492/

https://www.youtube.com/shorts/u5qhpzjwEk4 

 

自民党や維新も含めて、東アジアでの外国との関係に関して、勇ましく防衛力強化だとか言っているが、『国防だ、国防だ』というんだったら、まず宇都宮を熊からしっかり守ることを実践してもらいたい。(文意のみ)

 

私はこの橋下氏の議論とされる考え方に賛成である。何故なら、政治が防衛を語る出発点は、市民一般の生命と生活を守ることだからである。熊被害が発生しているにもかかわらず、行政が十分対応できていないのであれば、先ず緊急の対応を権限と予算を持っている国が行うべきである。

 

緊急対応の後に、熊問題が最終的には地方自治体の問題だというのなら、時間をかけても良いから地方自治体が対応できるように、制度の議論を行えばよい。行政機構や制度が重要なのではなく、市民の安全な生活が守られることこそが重要だからである。

 

今回は、熊被害の問題と、そこから見えてくる日本の統治機構の問題について考えてみたい。尚、環境省は、遅ればせながら広域対応を指示しているので、この点については評価すべきだとおもっている。https://www.youtube.com/watch?v=2pAZnD3Cm18

 

1.熊問題は地方問題なのか

全国の熊被害は近年明らかに増加傾向にある。人身被害件数、農作物被害額、目撃情報のいずれも増加しており、熊だけではなくイノシシ、シカ、サルなどの有害鳥獣による被害も拡大している。

 

この現象の背景には、近年の産業構造と土地利用形態、そして共同体構造と人口動態における変化など、日本社会全体の大きな変化が存在する。その結果として地方の人口減少と高齢化が進み、多くの山村では集落そのものの維持が困難になっているのである。

 

かつて人が生活し、農地を耕し、山林を管理していた地域から人の姿が消えつつある。そして、野生動物が数百年前の生息域を取り戻し始めているのである。つまり現在発生している問題の本質は、有害鳥獣問題であるとともに国土管理問題なのである。

 

そしてこの問題は全国規模で発生している。地方自治体は現場対応を行うことはできても、過疎化や人口減少を止めることはできない。ましてや国土全体の管理方針を決定する権限も能力も持っていない。

 

そうであるならば、この問題の本質を示し、解決の指針と地方自治体の対応方針までの一環を、国が議論して明確にすべきであることは当然である。

 

2.日本の地方自治体は本当に“自治体”なのか

今回、熊問題を考えていると、もう一つの疑問に行き着いた。そもそも日本の地方自治体は、現在その自治体という名にふさわしい役割を十分に果たせるのだろうか? そして、それだけの権限と能力を持っているのだろうか?

 

日本の地方自治制度は憲法に記載されている。地方自治と言っても、条例制定を含めて、国の法令の範囲内という規制がかかっている。そして現実には、国から与えられた制度の枠内で行政事務を執行する機関として機能している。日本の自治体は名前ほど自治体ではなく、実質的に行政の下請け機関に見える。

 

外国と比較してみるとそのことが良く解る。例えばアメリカでは州政府が強い権限を持ち、司法機関も州に帰属している。教育制度、警察制度、税制などについても州ごとの独自性が大きい。これに対して日本では、県や市町村が独自に問題を解決できる範囲は限定的である。

 

熊駆除の問題を例にあげれば、すべての野生動物(鳥類・哺乳類)の捕獲・殺傷、卵の採取は原則禁止と法(鳥獣保護管理法)に示されているので明確に国政マターである。最近、改正が国によってされ、市町村長の許可を得て銃の使用が可能になったが、臨機応変の対処は不可能である。

 

住民からは自治体に対して解決を求める声が上がるが、実際には国政マターであるので法に従って、市長も山から出てきた熊には猟友会会員を探して銃猟許可をだせるが、それが精いっぱい。近辺の山に増加した熊を差し当たり危険性の有無の判断無しに、一斉駆除することは法違反の可能性がある。

 

国会議員も、現在は外交における日本の危機なので、現場から遠い熊の対応に頭を悩ますことなど不可能である。この状況を見ると、日本の地方自治体は、首長と議会議員を選挙で選ぶほどの住民の意思を反映する機能と権限を持っていないと思う。

 

この熊問題を切っ掛けにして、日本の地方自治制度から国政まで、日本国全体の政治構造の刷新を考えることで、この日本の体たらくの重要な部分を明確にしていただいた犠牲者の方々の無念を晴らすべきであると思う。

 

3.日本再生のための統治機構改革

現在の日本は、人口減少、地方衰退、経済低迷、財政悪化、外交上の危険性増大という複数の課題に直面している。こうした状況に至ったのは、明治から戦後に構築された統治機構が時代遅れであることを示している。熊問題は、それを指摘してくれていると考えるべきである。

 

本来であれば地方が主体的に対応すべき問題であっても、現実には地方自治体には十分な覚悟も権限もないので、結果として国に依存せざるを得ない状況にある。その制度を作った中央政府は、70年間、米国に意思で動く世襲の自民党政治家とその周辺の支配下にある。

 

明治の新政府が作った政治システムの延長上に今の日本国政府がある。過去の150年間の内、その半分の80年間は、薩長を中心とした政権中枢は国民の命よりも国家隆盛を念頭に国内外の政治を考え遂行し、結局英米の真意を見抜けずに大失敗し、300万の犠牲者を出した。

 

戦後80年は、その同じ支配層が米国に盲従する政治からスタートして、既得権益化した政権を守ることに汲々とし、国民の生命と生活を守るという本来の政治の役割に立ち戻る余裕も遺伝子も無い。それは、「都市空襲で殺された親族や焼かれた家の賠償は米国に要求しろ」と突き放したことで明白である。

 

「米国は日本を見捨てないのでしょうね?」と国際会議で防衛大臣が公開の場で問うという政権である。政権に対して、揉み手擦り手 のマスコミは、堂々と英語で議論する防衛大臣として持ち上げる。全国の熊被害など、「鳥獣保護管理法改正で十分だろう? あとは自分でやれ」が本心だろう。

 

このような状況を考えると、より大きな視点から統治機構改革を検討する必要がある。その選択肢の一つが道州制である。全国を七州から八州程度の広域自治体に再編し、内政の大部分をそこへ移管する。産業政策、教育政策、地域開発、農林水産政策などは州政府が担い、各州が成果を競争するのが良い。

 

それで国民は、国家と政治の関係を肌感覚で学ぶだろう。それが選挙という武器を用いて中央政府を刷新する切っ掛けになるだろう。それまでの間は、中央政府はこれまで通り、外交、防衛、通貨政策など国家全体に関わる分野に集中すればよい。

 

熊問題を契機として、日本の統治機構そのものを見直す議論を始めることは十分に意味があると考える。

 

おわりに

日本経済は40年間低迷している。そして、日本の政治は70年間、米国に追従するという自民党政治の支配下にある。この低迷は、国民全ての知恵が政治に反映されなかったことが原因である。何故なら、日本国民の知恵が西欧先進国の国民の知恵に劣る筈がないからである。

 

国民の知恵を国政にどのように反映させるかを考えるには、そのモデルを作り学習する実践学習が最善である。それを道州制の導入で実現できるのである。熊問題からの飛躍が大きいのは承知の上で、時間がないので、このようなことを書いているのである。

 

日本は今、存続の危機にある。それは日本の国政が一部の明治以来の貴族によって支配されているからである。熊問題でもよいから、令和維新の実現のために利用したい。

 

橋下さん、あなたはこのようなことを言いたかったのではないでしょうか?


追記: 本原稿はGoogle AIのgeminiの協力を得て作成されました。勿論、本記事の文責は100%ブログサイト管理者にあります