資源の有無が分けたイランと日本の近代


はじめに

 

米上院議員バーニー・サンダース氏の動画のなかで、米国・イスラエルとイランの戦争を理解するには、1953年に英米によって引き起こされた「事件」が重要であるとの議論がなされている。https://www.youtube.com/watch?v=8l3x1QFHeHo

 

その事件とは、何と、民主政治から帝政への転換をもたらしたクーデターである。文明の発展方向とは真逆のこの革命は英米によってもたらされたのだが、それがイランの人々に強烈な反米、あるいは反西欧感情を植え付けた。英米の目的は、もちろんイランの石油であった。

 

20世紀の世界の戦争の殆どが英米による戦争である。それらの正当化として、英米は「独裁政権を破壊し自由と民主主義を世界に広めることが目的である」という類いの宣伝をしてきた。その嘘を明確に示すのが、1953年の英米によって持ち込まれたイランの民主政治から独裁政権へのクーデターである。

 

今回の米国・イスラエルによるイラン攻撃にもその種のレトリックが用いられているが、その本質はイランを米国とイスラエルに従順なパーレビ独裁(あるいはそれに準ずる支配構造)に戻すことにあると言える。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12959701553.html

 

また、イランの近代史は、実は日本の近代史と非常に似た面と異なった面がある。似た面とは「英国によってもたらされた近代」であるという点であり、異なった面とは「イランには資源があったが、日本には英国が欲しがる資源など何もなかった」ことである。この差異を知ることは、日本の近代史と今後の政治を考える上でも非常に重要である。

 

1. 立憲君主制イランの誕生と近代化への熱望

イランにおける近代化の歩みは、1906年の「立憲革命」に遡る。これは当時のトルコ系王朝であるカジャール朝の専制に反旗を翻し、アジアでいち早く憲法と議会を勝ち取った国民的な運動であった。

 

当時のイラン国民が抱いた熱望は、日本の明治維新と驚くほど似通っている。彼らが目指したのは、君主の恣意的な統治を排し、法の支配に基づいた自律国家の建設であった。英国は当初、ロシア寄りの国王を弱体化させるために立憲派を支援する素振りを見せたが、それはあくまで地政学的な「駒」としての利用目的に過ぎなかった。

 

英国は、自国の石油利権を脅かさない範囲でしかイランの近代化を許容しなかった。1907年にはロシアと協定(英露協商)を結び、イランを南(英国側の勢力圏)と北(ロシア側の勢力圏)に分割してしまう。英国にとってイランは、独立した近代国家ではなく、管理されるべき「資源の貯蔵庫」だったのである。

 

2. 民主化への進展と、1953年の反民主クーデター

第二次世界大戦後の1951年、イランは再び民主化へ向けて動き出す。ムハンマド・モサデクが首相に就任し、国民の悲願であった「石油国有化」を断行した。しかし、この石油利権の回復を英米は許さなかった。

 

1953年、米CIAと英MI6が主導する「アジャックス作戦」が実行される。彼らは賄賂、暴徒の動員、世論工作を駆使してモサデク政権を転覆。国外逃亡していたパーレビ国王を呼び戻し、絶対権力を持つ独裁者として据え直した。西欧が掲げる「自由と民主主義」の欺瞞がこれほど明確に示された例はない。

 

この民主主義の圧殺によって世俗的な議会政治が葬られたことで、国民の反独裁・反米の受け皿は、妥協なき宗教的権威へと移行していった。1979年のイラン革命で指導者となったホメイニ師、そして現在の最高指導者ハメネイ師である。

 

現政権は、この「1953年の裏切り」を歴史の血肉として刻んでいる。彼らが宗教という独自の盾で国家を守ろうとしたのは、西欧的な民主主義制度そのものが、石油利権のために西欧自身の手によって破壊されたからに他ならない。

 

3. 資源の貯蔵庫か、戦略的番犬か

日本とイランの近代化の経路を分けたのは、英国がその国に何を求めたかという点に集約される。

イランは英国にとって「資源貯蔵庫(タンク)」であった。英国が必要としたのはイランの石油そのものであり、イランという国家が自立し、強くなることは不都合であった。

 

そのため、近代化の芽が出るたびに介入や分断が行われ、最終的には軍事力による独裁政権(パフラヴィー朝)の創設までもが後押しされた。管理しやすい一人の独裁者と良好な関係を築き、石油を安定して抜く。それが英国の戦略であった。

 

一方、日本には英国が欲しがる資源がなかった。だからこそ、英国は日本をロシアの南下を阻む「番犬(パートナー)」として利用した。英国は日本に技術を供与し、軍事力を育て、日英同盟という形で「投資」した。

 

日本は資源がなかったからこそ、英国の戦略的ニーズに合わせて「近代的な武力を持つ独立国」というカードを引くことができた。一方は資源があるゆえに「中身を吸い出される対象」となり、一方は資源がないゆえに「育てるべき番犬つまり対ロシアの防波堤」となったのだ。

 

ただ、その役割の中で英米資本に支えられてロシアと戦争をし、辛うじて勝った。その勝利が、英米の期待した役割の外に出てしまうことに繋がった。米国が当然のように要求した南満州鉄道の権益移譲の拒絶などである。第二次世界大戦での敗戦によってふたたび元の身分になり、番犬として言いつけを待っているという情況にあるのが自民党政権の日本である。

 

おわりに

イランの現況を知る上で1953年のクーデターを知ることは、我々日本人にとっても重要である。単なる過去の復習ではない。それは、大国が語る「正義」や「民主主義」という言葉の裏側にある、冷徹な資源戦略を見破るための眼を養うことである。

 

イランがかつて持っていた民主主義の可能性を破壊したのは、他ならぬ西欧であった。現在の情勢を「宗教対立」や「ならずもの国家の暴走」という単純な枠組みで語ることは、この歴史的な不義を隠蔽することに加担しかねない。

 

日本もまた、かつては英国の「番犬」として近代化を駆け抜けた歴史を持つ。資源なき国として、常に他国にどう利用されるかという文脈の中で自立を模索してきた。今、再び世界の構図が塗り替えられようとする中で、私たちはイランの辿らされた悲劇を普遍的な教訓として受け止めるべきだろう。

 

バーニー・サンダース氏が指摘した通り、歴史の深層にある真実に光を当てることなしに、真の平和や正義を語ることは不可能なのだ。


 

(あとがきに変えて) 今回の執筆にあたっては、Gemini 3 Flashとの対話を通じて、バーニー・サンダース氏の動画を起点に、1953年のクーデターという「歴史の転換点」から現在のイラン戦争の本質を読み解く試みを行いました。AIとの共同作業により、イランと日本という二つの国の近代化を「資源と戦略」という共通の尺度で比較する視点を深めることができました。この記事が、複雑な世界情勢を多角的に捉える一助となれば幸いです。