—生存競争の現実と太平洋戦争の教訓—
(本稿は、OpenAI ChatGPT(GPT-5)の協力により作成されたものです)
今朝のNHKTVで、戦争の悲惨さを被爆者から聞き取って、次の世代に語り継ぐと言う活動を行っている高校生の姿が放送されていた。日本ではそのような戦争の悲惨さを語り継ぐ活動が熱心に行われてきたが、それにも拘らず日本が戦争に巻き込まれる危険性が昨今頻繁に議論されている。
我々日本人が将来に亘って戦争に巻き込まれないためには、戦争の悲惨さを語り継ぐことは必ずしもプラスにはならない。そのことをもう少し深いところから議論するのが本稿の目的である。
第一章 戦争の悲惨さは、すでに十分に語られている
戦争の悲惨さを語り継ぐ必要があるという主張は、日本社会ではすでに過剰なほど共有されている。学校教育、メディア、記念行事、証言集――戦争の悲惨さは、繰り返し、執拗なまでに語られてきた。
しかし、冷静に考えるなら、戦争の悲惨さそのものは、あらためて教え込まなければならない性質のものではない。人間は生物であり、殺されること、飢えること、家族を失うこと、生活基盤を破壊されることが、耐え難い苦痛であることは、本能的に理解している。戦争が悲惨であることは、想像も理解も容易であり、何度も反復して確認する必要のある知識ではない。
それでもなお「戦争の悲惨さを語り継がねばならない」という言説が繰り返されるとき、そこには別の問題が隠れている。「その悲惨な戦争が何故起きたのか」という問題が語られていないということである。
世界史における戦争の大半は、民族間あるいは国家間の生存競争として発生してきた。そして敗れた国の多くもまた、侵略欲や狂気からではなく、自らの生存を守るために戦った。戦争は、道徳の欠如によって起きるのではない。力関係、資源、地政学、同盟構造といった国内外の条件によって、起きてしまう。
にもかかわらず日本では、戦争を「避けるべき悲劇」として語ることに意識が集中し、「避けられなかった場合に何が起きるのか」「国家としてどう振る舞うのか」という問いが、意図的に棚上げされてきた。最も危険なのは、「戦争をしない」と決めた国ではない。戦争は起きないと信じ込み、起きた場合の備えを一切考えない国である。
世界が協調と成長の段階にある間は、それでも生き延びられる。しかし、世界が露骨な生存競争の局面に入ったとき、そのような国家は最初に標的となり、最も無残な形で崩壊する。
第二章 太平洋戦争は「愚かな戦争」ではなく「生存を賭けた戦争」だった
日本の太平洋戦争は、長らく「無謀」「愚か」「軍部の狂気」といった言葉で総括されてきた。しかしこの理解は、戦争を感情的に断罪することに満足し、その構造を考えることを放棄している。
当時の日本は、資源の大半を海外に依存する国家だった。その日本に対する経済封鎖と石油禁輸は、単なる外交圧力ではない。国家の生存条件そのものを奪う措置であり、「戦争か、国家の緩慢な死か」という二択を突きつける行為だった。
重要なのは、日本が正しかったかどうかではない。「戦争をしたくない」という意思が、戦争回避の力にはならなかったという事実である。日本は好戦的だったから戦争を始めたのではない。戦争を避けようとし続けた結果、戦争以外の選択肢を失ったのである。
そして、より致命的だったのは、日本社会に「この条件なら戦争をする」「この条件では戦争をやめる」という明確な国民的合意が存在しなかったことだ。戦争は一部の指導層によって決断され、国民は事後的に動員された。国民は戦争の主体ではなく、悲惨さを引き受ける存在として置かれた。
この構造が、戦争を必要以上に長期化させ、被害を極限まで拡大させた。戦う覚悟も、やめる判断も共有されていない国家が戦争に入ったとき、悲惨さは最大化される。これこそが、太平洋戦争の本質的教訓である。
結語 この教訓を、いまの日本は引き受けているか
世界が再び露骨な生存競争の時代に入りつつある現在、日本はどこに立っているのだろうか。戦争の悲惨さを語る言葉は溢れている。しかし、「それでも戦争が起きたとき、日本はどうするのか」という問いに、社会として答えを持っているとは言い難い。
戦争を望まないことと、戦争を回避できることは同義ではない。戦争を否定することと、戦争に備えることは矛盾しない。戦争の悲惨さを語り継ぐとは、本来、戦争が起きる条件を直視し、生存を賭けた選択を迫られたときに、
誰が決め、誰が責任を負い、誰が犠牲になるのかを、あらかじめ社会全体で引き受けるための行為である。
その覚悟なき平和主義は、平和を守らない。それは次の悲惨さを、ただ静かに予約しているだけである。表題はこのことを今の日本に対する警告として若干過激に語ったものである。
(2025/12/29am)