――西欧政治文化の終焉と、日本という国家の生存条件――

(本稿は、OpenAI ChatGPT(GPT-5)の協力により作成されたものである)

 

はじめに――西欧という「前提」が崩れつつある世界で

ウクライナ戦争の帰趨は、すでに明らかになりつつある。戦場の帰結がどうであれ、政治的・経済的・軍事的に見て、ヨーロッパはこの戦争に敗北したと言ってよい。エネルギー、産業競争力、財政余力のいずれを見ても、ヨーロッパは大きく損耗し、「西欧」という政治的・文明的なまとまりは、もはや回復不能な亀裂を抱えている。

 

その結果、西欧が創り上げてきた近代国際秩序は急速に形骸化しつつある。これから世界を規定する枠組みが、中世的な帝国主義なのか、力が剥き出しで衝突する混沌なのか、いまだ判然としない。このような時代に、中国と共存できないという姿勢を貫けば、それはその国の消滅を意味するだろう。その現実を日本人は、原点に立ち返って考える必要がある。

 

1.世界は米中G2の時代を迎えるのか

西欧近代政治が崩壊しつつある現在、これまでその背骨として存在してきたアメリカもまた、かつての覇権国家ではなくなりつつある。アメリカの関心は、もはや「西欧中心の世界の維持」にはなく、自国の国力と国益を最大化するための新たな秩序設計へと移行している。

 

その延長線上で、ドナルド・トランプ が示してきた姿勢――ヨーロッパへの露骨な不信と批判、中国との取引可能性を示唆する言動=G2的な発想――は、決して突飛なものではない。むしろ、アメリカが西欧近代の政治文化から距離を取り、力と取引を基軸とする国家へと変質しつつあることを象徴している。

 

この流れの中で、対米従属の80年に慣れた日本はきわめて危うい位置に立たされている。対ロシアとの関係を事実上破壊され、西欧陣営への忠誠を唯一の外交資産としてきた日本は、西欧が崩れた後の世界において、完全に孤立する可能性を現実のものとして抱え始めている。

 

この日本の危うさを、対中関係に注目して警告しているのが、日本在住30年の中国人研究者である 柯隆 氏である。柯氏は「米中がこれ以上歩み寄ったら、日本はどうするのか」という問いを発し、高市政権の選択が、日本を極端に孤立させかねないことを指摘している。

 

https://www.youtube.com/watch?v=KQevc6u0QTA

 

この 柯隆 氏の主張に対するコメントを見ると、その多くが現在の日本国民にプレゼントされた進言が全く理解されないばかりか、中国人である柯隆氏の批判にまで向かっている。この事実が将に日本の危機の正体であり、本記事を書く動機となった。

 

西欧政治文化の崩壊は日本の危機

今日しばしば語られる「西欧政治文化の危機」は、欧米諸国だけの問題であるかのように扱われがちである。しかし、それは致命的な誤解である。西欧政治文化の危機は、そのまま日本の危機である。

 

日本という国家は、地理的にも文明的にも、西欧文明の内部に自然に属する国ではない。日本が「近代国家」として成立し、一定の豊かさと安定を維持してきたのは、西欧、とりわけ英国を中心とする西欧列強が築いた政治文化と国際秩序の内部に組み込まれたからにほかならない。

 

日本の近代化とは、単なる技術導入や制度模倣ではなかった。国際法という共通言語、主権国家が並立する秩序、そして人種や宗教、民族的憎悪といった感情を政治から切り離すという西欧的政治文化――これらの前提を受け入れ、その枠内で行動することを選んだ結果であった。

 

この傾向は戦後、さらに強まった。占領政策による非武装化とリベラル思想の浸透によって、日本は「自ら力を行使しない国家」として、西欧政治文化への依存を一層深めた。言い換えれば、日本は西欧政治文化が存続する限りにおいてのみ、安定して生き延びられる国家となったのである。

 

では、その西欧政治文化が崩壊した場合、世界はどこへ向かうのか。それは新しい普遍的秩序が生まれる世界ではない。国際法が進化し、より公正な体制が現れる世界でもない。現れるのは、政治と感情、力と正義が再び直結する世界である可能性が高い。

 

力を持つ者が正義を定義し、規範は守るものではなく、利用できる者が利用する道具となる。「国際的に孤立する」「国際社会が許さない」といった言葉は、もはや抑止力を持たない。それは近代以前の帝国の論理であり、さらに遡れば、野生の時代の政治である。

 

この野生の時代の政治を生き抜くには、日本の政治を考える枠組み――思考のレジーム――を、近代西欧の政治というレジームから、一挙に哲学的レジームへと切り替える必要がある。つまり、原点から出発して新たに思考の前提を定義し、それを枠組みとした後に、新たに話の論理を展開する方法が必要である。

 

日本社会に蔓延する致命的な誤解と「日本の危機」

しかし日本社会の多くは、ここまで述べてきた世界の変化を理解していない。むしろ、西欧的国際秩序は今後も世界政治の原点であり続けるという、無自覚な前提に依存している。

 

国際法を破れば必ず孤立する、野蛮な行為には毅然とした態度で臨めばよい――こうした考え方は、西欧政治文化が機能している世界でのみ成立する。しかし、その前提が崩れつつあるにもかかわらず、日本はその前提を疑わない。

 

高市首相の「毅然とした対中姿勢」への高い支持は、この誤解を象徴している。それは、「世界は依然として西欧的秩序の中にある」という仮定でとられた外交姿勢であり、それへの高い支持率は日本がその西欧的国際秩序への篤き信仰の国であることの証明である。

 

大陸国家や核武装国家、自前の勢力圏を持つ文明国家は、力の論理へ比較的容易に適応できる。彼らは古代から中世のユーラシア大陸において、力の国際政治の中での生々流転を経験し、現在に至っている国々だからである。

 

しかし日本は違う。地政学的に孤立し、軍事的に制約され、思想的にリベラル化した日本は、西欧秩序への依存度が極端に高い国家である。その日本が、西欧政治文化の崩壊を直視せず、「正しさ」や「毅然さ」だけで世界と向き合おうとするなら、それは現実認識の放棄に等しい。

 

誤解を招かないように補足しておくが、ここで言う「(大国との)共存」とは、価値の放棄や屈従を意味しない。それは、力の論理が支配する世界において、国家として生存し続けるための最低条件を指しているだけである。

 

結語――これは警告である

西欧政治文化の危機は、日本にとって選択の問題ではない。生存条件の問題である。このことを理解しないまま、西欧的正義を振りかざし、国際法を万能薬のように語り、相手の野蛮さを非難するだけで済むと考えるなら、それは危機対応ではなく、思考停止である。本稿は提案ではない。警告である。

――――― 2025/12/27 am  ―――――