――歴史・国家意識・AI時代が示す条件
※本稿は、2019年に公開した「中野剛志氏の『没落について』という講演動画に関する感想」
(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560835048.html)を、現在の国際情勢およびAI・ネット環境の変化を踏まえて、思考モデル
と構成を再整理したバージョンアップ稿である。
序章 日本はなぜ「選択できない国」になったのか
日本は現在、没落に向かう谷底を進むように鍵をかけられている、つまりロックインされた状態にある。ここで言うロックインとは、ある時点で選ばれた進路が、制度や思考様式として固定化され、別の選択肢が見えにくくなる現象を指す。谷底という比喩は、一度そこに入り込むと視界が狭まり、隣に別の谷や別の道が存在していても気づきにくくなる状況を表している。
このような言い方は、過度に悲観的だと受け取られるかもしれない。しかし本稿で言う没落とは、感情的な衰退論ではない。過去の選択が積み重なり、それ自体が前提条件となって将来の選択肢を縛っていく、構造的な過程を意味している。
戦後の日本を振り返れば、経済、外交、安全保障、教育のいずれの分野においても、致命的な失敗を重ねてきたわけではない。むしろ多くの場合、それらは当時としては合理的で、現実的と考えられた選択であった。問題は、その合理性が長期にわたって一つの方向へ社会を導き、別の可能性を想像する力そのものを弱めてきた点にある。
本稿では、この状態を「渓谷モデル」として捉える。一度形成された谷底の道は、容易には外れられない。隣に別の谷が存在していても、その存在を認識できなければ移動は起こらない。国家もまた、こうした地形の中を動いている。
日本には過去に、進路を変え得る瞬間が二度存在した。占領終結期と冷戦終結後である。いずれの時代にも、日本には政治的力量も国際的余地も存在していた。しかしその可能性は、国民的選択として引き受けられることなく、静かに閉じられた。
没落の谷底を進む道は、神が定めた運命ではない。だが再興もまた、自動的に訪れるものではない。本稿の目的は、日本が再び進路を選び直すために、どのような条件が必要なのかを整理することにある。
1. 渓谷モデル――ロックインとアンロックの構造
国家の進路は、意思決定の積み重ねによって形成される。しかしその進路は、いつでも自由に変更できるわけではない。ある選択が繰り返されることで制度や価値観が固定化され、別の選択肢が見えなくなる。この状態をロックインと呼ぶ。
渓谷モデルでは、没落へ向かう進路も、再興へ向かう進路も、それぞれ一つの谷底として存在している。両者は完全に断絶しているわけではないが、その間には尾根、すなわち障壁がある。通常、この障壁は高く、越えることは困難である。
しかし歴史を見れば、国際秩序の変動や覇権構造の揺らぎによって、この障壁が一時的に低くなる瞬間が存在する。その時にのみ、国家は隣の谷へ移動する現実的可能性を得る。アンロックとは、この一瞬の機会を捉える行為である。
重要なのは、アンロックはいつでも可能なわけではないという点だ。可能性は常に存在するが、実行可能な時間は短い。だからこそ「機を見るに敏」である姿勢が問われる。
2. 日本に二度あったアンロックの瞬間
日本には、進路を変え得る瞬間が二度存在した。
第一は、占領終結前後である。冷戦構造がまだ固まっておらず、日本が主権回復後に憲法改正を含む国家像を自ら設計する余地が存在していた時期だ。この可能性は理論的にも政治的にも存在していたが、国民的議論として展開されることはなかった。
第二は、冷戦終結後である。米国の明確な敵が消失し、日米安保の意味が宙に浮いた時期、日本は史上最大級の経済力と外交余力を持っていた。しかしこの時も、日本は進路を変えることなく、惰性で同じ谷を走り続けた。
二度とも、日本には政治的力量を持つ人物が存在した。しかしいずれの場合も、決定的な問いは国民に投げかけられなかった。問題は人物の資質ではなく、国民が国家の進路を引き受ける準備が整っていなかったことにある。
3. なぜ日本人は「国家としての自分」を持てなかったのか
日本人の国家意識の希薄さは、偶然ではない。千年以上にわたり、日本の民衆は政治と自らの生死が直接結びつく経験をほとんど持たずに生きてきた。政治は武士や貴族の世界の出来事であり、庶民の生活は基本的に連続していた。
太平洋戦争は、初めて政治と国民の生死が直結した経験だったが、それは主体的な選択の結果ではなく、一方的に降りかかった破局だった。その結果、日本社会には国家から距離を取ろうとする深い心理が刻み込まれた。
戦後、憲法改正を含む国家の根本規範が国民的選択として問われることはなく、国家意識を形成する訓練は欠落したまま現在に至っている。この構造の中では、没落の谷にロックインされていること自体が認識されにくい。
4. ネットとAIが開いた新しい回路
近年、この構造に小さな変化が生じている。ネットとAIの発展によって、国家や歴史を自ら学び、考え、議論する回路が、教育機関や既存メディアの外側に生まれ始めている。
これは教育の分散処理化であり、国家意識が初めて下から形成される可能性を示している。参政党の誕生は、この変化が政治的に可視化された一例に過ぎない。重要なのは、国家を自分事として考える人々が現れ始めたという事実である。
まだ谷を移動したわけではない。しかし隣に別の谷があることを認識する人々が生まれ始めたこと自体が、これまでの日本にはなかった変化である。
終章 再興の条件と、天皇という存在
日本が再興の道に戻るための条件は明確である。
第一に、没落の谷にロックインされている現実を構造として理解すること。
第二に、隣に別の谷が存在することを想像力として共有すること。
第三に、その瞬間が訪れたとき、不確実性を引き受ける覚悟を持つことである。
最後に、天皇という存在について触れておきたい。天皇は、軍事国家としての大日本帝国において、国家が国民を動員する装置として位置づけられた時代を経てきた。しかし日本が再び主権国家としての道を模索するのであれば、その役割の重心は、江戸時代以前に近い形へと静かに戻されるべきではないだろうか。
それは政治的権限を持つ存在へ回帰することを意味しない。むしろ、国民が自発的に敬愛し支えてきた、伊勢神道の宗主としての天皇という位置づけである。
制度や形式を国民が決めるべきだとは思わない。最終的には天皇家ご自身のご判断に委ねられるべき問題であろう。京都御所にお戻りになる形であってもよいし、現在の皇居のままであってもよい。
ただ、日本国民の一人として願うのは、天皇と皇室が、お伊勢さんの主宰として国民とともにある存在として、静かに位置づけられていくことである。
没落の谷底を進むことは、神が定めた運命ではない。しかし再興もまた、自動的には訪れない。その条件を見極め、機を見るに敏であり続けること――それ自体が、すでに政治なのである。
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(本稿は、OpenAI ChatGPT(GPT-5)の協力を得て、筆者自身の思考と責任において執筆したものである。)