1. はじめに:日本文化の適応という特質
日本文化の根底には、環境に適応することによって生き延びる知恵がある。風土・気候・地震・台風といった自然の脅威に囲まれた列島で、人々は自然を制御しようとはせず、そこに調和し、身を委ね、共に生きる道を選んだ。この「適応」は長い歴史の中で、社会の倫理や美意識の中に深く刻み込まれた。
しかし、この「調和」とは本来、自然の力に対する畏怖と服従の表現でもあった。自然を相手として理解し、制御しようとするのではなく、「大いなるものに身を委ねる」態度――
それが日本の“自然観”の核である。
神道は、自然を理解の対象ではなく、崇めることによって秩序を得ようとする宗教であり、思考よりも畏敬を基盤とした日本文化の原型と言える。
2.自然を分析しない文化──庭園という象徴
日本の庭園はしばしば自然の縮図とされるが、それは自然の再現あるいは模倣であって、分析や再構成ではない。西欧の庭園が幾何学的秩序によって自然を再編成するのに対し、日本の庭は自然の形を“写し取る”ことで完成する。そこには「理解された自然」ではなく、「従うべき自然」がある。
この美学は決して劣ったものではない。だが、この姿勢は自然を思考の対象として扱わない文化的傾向を示している。すなわち、「自然を観察し、そこから原理を抽出する」という科学的精神の萌芽は、日本では早くに停止していた。
この思考の欠落こそが、後の「哲学なき文明受容」へとつながる。
3.明治以降の“新しい自然”──西欧への盲従的適応
明治の近代化は、まさにこの自然観の延長線上にあった。西欧文明という“新しい自然”に対し、日本はそれを分析して批判的に取り込むのではなく、畏怖し、服従し、模倣することで適応した。
その態度は自然への盲従と同じく、「守り」と「耐え」の文化であり、相手を知り、理解し、批判的に対峙するという能動的思考は存在しなかった。明治の人々が西欧文化を急速に吸収できたのは、この“適応能力”ゆえであるが、同時にそれは“主体的思考の欠如”の裏返しでもあった。
制度・技術・科学を輸入しながらも、その背後にある思想――「自由」「理性」「存在」「真理」――を掘り下げる努力はほとんどなかった。そのため、日本の近代化は形の上では西欧化したが、
内面は依然として神道的自然観の延長にとどまっていたのである。
4.表層的西欧化の帰結
この“盲従的適応”によって、日本は短期間で列強の一角にまで上り詰めた。しかし、それは「相手を理解して超える」近代ではなく、「相手に従属して似せる」近代にすぎなかった。この構造は、戦後に至るまで、日本の技術・思想・政治の深層を静かに規定し続けている。
科学も思想も、いまだに「導入」と「模倣」の延長にあり、分析よりも感得、理解よりも順応が優先される。近代日本の文化的エネルギーは、創造よりも環境への同化に費やされてきた。
5. 結語:哲学の不在という根本的欠陥
文化に優劣はないと言われる。だが、人間が有限の地球上で自己を持続させるためには、
環境を「理解し、対峙する」思考の力が欠かせない。
日本文化はその柔軟性ゆえに長く続いたが、その内部には、自然も文明も“論理的思考の対象”として扱わないという構造的な歪みがある。すなわち、哲学の不在である。
哲学とは、分からない自分を出発点とし、原点と遠方を同時に探る思考である。だが日本では、偉大なる自然が明確に「原点」として存在していた。そのため、西欧文明を受け入れるときも、原点を揺るがすことなく、ただ順応してきた。
結果として、西欧哲学の本質を理解することはなく、また自らの哲学を生み出すこともなかった。
いま民族の生き残りに必要なのは、“日本的再構成”ではない。自己が主人公となり、哲学を獲得しようとする思考の出発である。その第一歩からしか、真の近代日本は始まらないだろう。
(本稿は7年前の本ブログサイト上の記事:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516698.htmlの議論を通して、OpenAIのchatGPTの協力で作成されました)