先の参議院選で参政党は大躍進した。国民のかなり多くが、国民を真に代表する政党として参政党を受け入れた結果だろう。しかし、参政党が政権政党を目指す場合、いくつか弱点が存在すると思うので、今回は党首神谷宗幣氏の演説や憲法草案を引用しつつそれらについて考えてみる。

 

参政党が素晴らしいのは、自分たちの国の政治を実現するために自分たちが政党を作り政治活動をするという民主主義的姿勢である。また、正しい歴史認識を獲得し、それを教育に生かすことで日本の再興を計るという目標設定も素晴らしい。

 

日本国を真の独立国とし、豊かな国民経済を作り上げるのが目標なら、既存の教科書にある近代史ではなく、国民のための歴史を構築してもらいたい。それは、国民の生活と感覚を想定した国民の視点からの歴史であり、且つ既存の歴史的事実と整合性を持たなくてはならない。

 

今後大勢の優秀な人材を集めて議論し、21世紀中盤からの日本を担う政党を創生するという難事業に成功して貰いたいと思う。


 

1)反グローバリズム

 

・経済的グローバリズム 

 

先ず、参政党が掲げる反グローバリズムについて考える。日本民族の伝統と慣習を重視する保守思想を掲げ、グローバリストの企みに抵抗する反グローバリズムを旗頭とする唯一の政党であり、新しい生命力をもった政党として高く評価される。

 

ただ、グローバリズムには政治や文化の側面と経済の側面があり、日本を含む世界の経済は経済的グローバリズムには深く依存している。 食料もエネルギーも自給できない日本は、現在の豊かな経済を維持し発展させるため、現在程度の経済のグローバル化は維持しなければならない。

 

つまり、グローバル経済を勝ち抜かなければ、日本経済に未来はない。(補足1)グローバル経済で日本企業が勝ち残るには、世界との開発競争や生産性向上の勝負に勝たなければならない。その方向で政府が出来ることは限られるが、重要なのは既得権益層の排除とそれによる機会均等の保証、実力本位の人事と待遇、労働の流動性の拡大など、日本文化からのミクロな対策である。


日本の与野党が提唱する積極財政論は、既得権益層を甘やかすことになり、日本の国際競争力の増強には有害となる可能性が高い。勿論、有効且つ必要な財政拡大もあり得るが、それにはタイミングが大事だと思う。基本的見方としては、国民が質の高い労働力を提供し、企業がそれを公平に受け入れる、実力本位の社会を作り上げるべきである。また、個人の資質向上のためには大学教育の改革も重要だと思う。 
 

・政治的グローバリズム  

 

現在、世界経済において強い力を持つ者たちが、法と法の精神を無視して、政治的グローバリズムを推進するように主権国家体制に強く干渉している。米国の民主党(ネオコン)政権や欧州の国際機関が先頭にたって、世界の巨大金融資本家たちがその背後から支援(或いは指示)する形で、国境の意味を徐々に薄くし、世界の政治を統一するかのように企んでいる。

 

具体的には、地球環境問題に対する統一的な理解と対策の強要(補足2)、疫病などの予防体制のWHO(世界保健機構)による一括管理、世界の食糧の生産などに関する統一的管理、更には、性的マイノリティーや家族制度などにおいても世界共通のルールを強要しようとしてきた。

 

グローバリズムの先頭を走る米国においては、南米からの難民や移民を無制限に受け入れさせて、国境の意味を低下させてきた。(補足3)それらは、世界帝国を樹立して、政治権力を独占する企みに見えるが、その指摘をする者に対してはマスコミを利用して「陰謀論者」という烙印を押し、反社会分子のように扱い排除してきた。

 

米国ではトランプ大統領が就任し、反グローバリズムの旗頭になった。そのキャッチフレーズが米国ファーストである。参政党は、この世界のグローバリズム政治の流れに抵抗し、日本の長い歴史と伝統を守るべく反グローバリズムの旗を掲げるのは頼もしいと思う。トランプ政権を真似て「日本人ファースト」を掲げたのは正しい。


 

2)国民のための歴史と憲法草案

 

歴史とは、人間社会の過去の出来事を系統づけて整理したものである。通常、歴史書という形で出版され、そこには作成者の政治的動機が存在する。従って、歴史書に記されているのは過去からの真実の整理ではなく、むしろ物語であり文学であると言える。そのように語ったのは、岡田英弘という東洋史の先生である。

 

中国と日本の代表的歴史書である史記や日本書紀は、時の政権を正当化するために用いられた。つまり、日本書記は天武天皇がその政権安定を狙って作り上げた古代日本の物語である。同じ時代を別の国や別の人が書くと、全く異なる歴史書が出来上がるだろう。
 

従って、政治家が歴史を語る場合、それはあくまでも政治目標設定或いは達成のために歴史の流れを記述し、利用するということである。それ故、21世紀の現代において古墳時代から飛鳥時代までの古代の権力が自分たちの政権安定のために作り上げた歴史に縛られる必要などない筈。

 

参政党によって最近提示された憲法草案は、この日本書記的記述が多く、現在の国民の多くが共鳴できない、或いは理解できない部分も多いので改めるべきだと思う。日本の伝統の中には今日的意味を失ったものも多い。それらは適当な場所に移し、現在の日本国のためになるようにすべきだと思う。

 

憲法草案の第一章に天皇を持ってくるのは、大日本帝国のようにこの国が天皇中心の国であることを意味する。それは国民の為の政治を目指す政党の憲法草案には相応しくないと思う。国民の多数が参加する国民主権の国家を創るのなら、それを第一に謳うべきだと思う。

 

天皇には、伊勢神道の主宰者として2000年余の伝統をお守りいただくことで良いではないか。

中でも、憲法草案の第一条の記述、特に第三項「天皇は神聖にして侵すべからず(要約)」は、大日本帝国憲法の受け売りであり、現代の政党に相応しくないと思う。

 

日本を真の独立国とし豊かな経済を作り上げるのが参政党の目標なら、今後日本の生きる方向に考慮し、同時に国民の視点から国民のための憲法草案を作ってもらいたい。池上彰氏らは、この憲法草案に対する意見を動画としてyoutubeにアップしている。それも参考にすべきである。https://www.youtube.com/watch?v=Cpo3QoixXtU


 

3)大東亜共栄圏構想に対する姿勢

 

神谷宗幣氏が二年前に松山で行った街頭演説において、日本が西欧諸国と戦った太平洋戦争(経緯は補足4に示す)は、西欧諸国のアジア植民地化に対抗するためだったので大東亜戦争と呼ぶべきであると語っていた。この歴史認識のままでは今後参政党が国内で大衆化し、国際的にデビューする際に困難を生じると思う。https://www.youtube.com/watch?v=jVojeOBgyr8 

 

確かに、戦後アジアにおいて続々と植民地解放運動が発生し、独立国が出来た。その際、旧日本軍兵士が現地の方々とともに戦った例も存在する。しかし、対英米戦争は、大日本帝国がアジアの一部を植民地化し、アジア全体を覇権圏とするという自国の利益のために行ったのであり、東アジア各国の利益を考えてのことではない。

 

この虚飾の大東亜共栄圏構想は、満州などの植民地化を正当化するためのレトリックに過ぎないので、事実と事実をつなぎ合わせて歴史を語るという本来のあり方に悖ることになる。あの戦争を大東亜戦争と呼び直すことは大東亜共栄圏構想と結びつけることになるので、参政党が大きな勢力を得た時、国際的に不要な摩擦を生じる可能性もありプラスにはならないだろう。

 

ネットで調べると19407月に閣議決定された基本国策要綱 に「大東亜新秩序の建設」が明記され、「大東亜共栄圏」構想の正式な政策化がなされたとある。しかし、歴史の現場を考察すれば、大日本帝国の当時の目的は、欧米が東アジアを植民地化する目的と同種なのは明らかである。

 

従って、戦後アジア諸国が続々と独立したとしても、それは大日本帝国の免罪符にはならない。また、あの痛ましい戦争に国民を巻き込み多数の戦死者と犠牲者を出した戦争を、大東亜戦争というプロパガンダ用語を用いて呼ぶことには賛成できない。

 

戦争に負け多数の国民は殺されたけれど、大東亜共栄圏構想とそれに基づいたアジア諸国への日本の進出は正しかったと評価することになる。それでは国民のための政党とは言えないだろうと思う。


 

4)靖国参拝に対する姿勢

 

参議院選で大勝したあとの記者会見で、参政党党首の神谷氏は党幹部とともに毎年815日に靖国神社に参拝していると語っている。これらのことは日本国民のための日本国を取り戻そうと考える人たちには、相応しいとは言えないと私は思う。https://www.youtube.com/watch?v=dM0sJCLjh08

 

靖国参拝の意味: 

 

明治以降の近代史を冷静に見れば、明治新政府を樹立した者たちは貴族階級であり、支配階級であった。そして現在もその末裔が中心になって日本の政治を担当している。日本国民の大半は、被支配階級であり、当時から今現在も日本国はこれら二つの層に分断されている。
 

戦争を始めた人たちと戦場で送られた人たちが明確に別の層に属していたことは、以下の事実からも分かる。戦死者の大半は敵との戦闘で死んだのではなく、兵站無視の無謀な作戦により飢餓や病気で死亡した。また、敗戦確実の戦況の中で、海軍兵の一部は敵船破壊のために人間魚雷として船腹に衝突した。また、若い飛行士たちは帰還用の燃料を積まずに出発し、敵戦艦に体当たりした。

 

彼ら若き兵士たちは、結婚することも、子供を育てることもなく、その後の予想された人生のすべてを、無意味に放棄させられた。そのような作戦が可能だったのは、支配階級と被支配階級との間に深い分断の谷が存在したからである。それを直視できないように、日本国民は天皇の赤子(せきし)であるいうプロパガンダが用いられたのである。悪質な天皇の政治利用である。

 

天皇は、江戸時代末期まで神道の主宰者として国民の精神的支柱として存在したが、大日本帝国では政治的な絶対権力組織の旗頭となった。天皇の名を利用できる支配者階級は国のためと称して、被支配者階級の人間を消耗品として扱い、自分の優越意識を満足させたのだろう。

 

靖国神社は、この明治以降の軍国主義を支えるために建立され、本来の神道とは関係の薄い国家神道の施設である。被支配層であった大多数の国民を代表する政党なら、靖国神社の参拝には慎重であるべきである。

 

戦争責任者の靖国合祀

 

東京裁判において断罪された大日本帝国の指導者たちを靖国に合祀したのは、彼ら戦争指導者を連合国側の報復行為の被害者とし、彼らの命令で無駄死にした戦死者と同等の被害者側に置くことで、開戦と敗戦の責任、多くの国民を無駄死にさせた犯罪的失政の責任を国民から隠蔽し、天皇の重臣としての彼らの名誉を維持するためだったのだろう。

 

政治家が太平洋戦争の何らかの記念日に靖国に参拝することは、明治以降の大日本帝国の政治を受け入れ、大日本帝国の責任者の責任回避を受け入れる行為である。

 

ついでに言うと、大日本帝国を継承した日本国政府は、以上の戦争時における責任を国民に対して明確にすべきである。その上で、講和条約で大都市空襲や原爆投下の責任を米国には問わないことにしたので、その賠償責任は本来大日本帝国を継承した日本政府が負うべきである。


 

終わりに:
 

日本国民の殆どにとっては、政治への関門は高い。高額の供託金は立候補の壁であり、一票の格差は都市部での当選を難しくする。この先進国には異例の選挙制度は、明治の重臣の末裔たちの政治家という既得権益を守り、新しい価値観を持つ若い人たちの当選数を抑制するためである。

 

つまり、明治政府の末裔や彼らに選ばれた有名人などが優先的或いはほとんど独占的に政治家になっている。日本国は未だに民主主義の国とは言い難い。そんな中で、参政党は国民の政治参加の意思と団結する力で参議院選で14の国会議員を誕生させた。これは高く評価されるべきである。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12915924203.html

 

日本の裁判所は行政に阿り(補足5)、2倍程度の一票の格差は政治参加の平等を謳う日本国憲法に違反しないとか、訳の分からない判決を出す。日本は民主主義から程遠い国である。参政党にはこの壁を破壊してもらいたい。
 

補足:

 

1)食料とエネルギーを自給できる米国やロシアは、経済を閉鎖しても全国民の生活を維持できる。しかし、それら基礎的物資を自給できない日本などの国には貿易に頼るしかない。その為には、こちら側にも何か輸出して金を稼ぐ力が無くてはならない。一言でいうと、日本の通貨に相応の実力が無くてはならないということである。積極財政論の欠点は、円安を殆ど想定していないことである

 

2)二酸化炭素濃度増加による地球温暖化説には説得力がないとする説がいくつもあらわれている。

 

ただ、現在地球温暖化は現実問題としてほとんどの人が感じていることである。この問題は未だ未解決だが、筆者も今後再度チャレンジする予定。

 

3)これには、熱心な民主党支援者でもあるユダヤ人投資家のジョージ・ソロスという人物が深くかかわっていることが確認されている。

 

 

4)米国の協力で日露戦争に勝利した後、日本が満州に本格的に進出した。この時、米国からの満鉄共同経営申し込みを一旦は受け入れたものの、最終的には拒絶したことなどから、日本は米国に敵国と見做されることになった。その後、同じく英仏の敵国となったドイツなどと同盟を結び、第二次世界大戦に参戦し敗戦した。この一連の外交は、大日本帝国政府の国家運営上の大失敗である。
 

5)自衛隊は軍隊ではないなどの仰天判決も最高裁に得意技である。

 

(8月4日早朝編集、補足を追加し最終稿とする)