今日4年前に書いた記事が読まれていた。自分ではすっかり忘れていたのだが、読み返してみてリブログする価値があると思った。

 

言語が社会や宗教と同時に発生したというのが、私の持論である。勿論、論文として世に問うたことはない。もし、文系の大学院に進んでいたのなら、研究したいテーマとなっていただろう。

 

 

 

そのモデルによれば、言語は社会とともに進化或いは退化する。宗教がなくなれば、言語は一般民のものとなり、乱れる。言語が乱れれば、社会も乱れる。それが文明の崩壊の一つのモデルである。

 

日本語は高度に進化するまえに、中国語の影響を受けたと思われ、多くの概念を漢字に依存している。その一例が上記ブログ記事の(師と士)だろう。その他、日本語では同音だが、漢字では明確に意味が異なる場合が多い。例えば、見る、観る、診る、看る、は全て「みる」と読む。このように、日本語では基本的な動詞すら、まともに区別されていない。

 

川柳などでの謎解きで、「その心は?」といって、同音異義語で遊んでいる人が多いが、私はあまり好きになれない。俳句も、言語表現に乏しいが故に発達したのだろう。

ーーーーーーowariーーーーーー