1)丸山穂高議員の国後島での発言が国会議員の間で非難されている。マスコミや国会などで丸山議員は袋叩きされている様だ。先のブログ記事で言及したように、これらの人々はこの丸山発言の詳細を理解しないで、非難しているのだろう。更に、この件に関して最悪の対応を維新の会は行った。なんと、駐日ロシア大使に丸山氏の発言を謝罪したというのである。共同通信の記事を掲載したヤフーニュースによると:
 
北方領土を戦争で取り返す是非に言及し、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員は19日、駐日ロシア大使に丸山氏の発言を謝罪した維新幹部を批判した。「ロシアへの『おわび』は完全に意味不明な対応。おかしなことにはおかしいと申し述べる」と自身のツイッターに投稿した。20日に取材に応じる考えも示した。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6323908
 
更に、野党6党が丸山氏の辞職勧告決議案を衆院に共同提出し、自民党は非難決議案提出で調整しているという。私は率直に言って、日本は日本語を用いたとしても、言葉が十分通じない国だと思う。以前にも何度も書いているが、過去の戦争の原因の奥底にも、その日本語を十分使えない日本民族の姿(補足1)があるように思う。
 
丸山発言については、中日新聞の記事から引用して先のブログで紹介した。もっと詳細な発言内容が毎日新聞に掲載されたようだ。それを北野幸伯氏のメルマガ「ロシア政治経済ジャーナルNo.1997」で知った。再度この文章を書く気になったのは、二人の対話の詳細を私のメモとして残すためである。以下北野氏メルマガから再録:
 

丸山氏:「団長は、戦争でこの島(国後島)を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」
元島民:「戦争で?」
丸山氏:「ロシアが混乱している時に取り返すのはOKですか?」
元島民:「戦争なんて言葉を使いたくないです」
丸山氏:「でも、取り返せないですね。戦争しないとどうしようもなくないですか」

元島民:「戦争なんぞはしたくありません」「先生、やめてください」
丸山氏:「何をどうしてですか。この島をどうすれば良いですか」
元島民:「それを私に聞かれても困ります。率直に言えば返してもらえれば良いと思います」
丸山氏:「戦争なく?」

元島民:「戦争はすべきでないと思います。早く平和条約を結んで解決してほしいです」
丸山氏:「逆に関係なく平和条約が欲しいんですか
元島民:「それは政府の方々に任せているわけで、あくまで私たちは交渉をやりやすくする下支えのために交流している。我々の署名運動などを今やめて元島民があきらめたと言われたら大変だから継続してやります」
丸山氏:「取材はするけど何もしない人(マスコミ)に言ってほしい」

 
このやり取りで、論理が一貫しているのは、丸山議員の発言である。丸山議員は、ビザなし交流訪問団に参加している元島民の目的意識を確認したかったのだろう。しかし、上記やり取りを見ても、元島民の団長はその意思を明確に話していない。そして、「戦争なんて言葉を使いたくない」という、この対話において意味不明の発言をしている。
 
そこで、「平和条約と領土返還のどちらを優先すべきだと思っているのか?」と丸山議員は質問(下線部)を代えた。しかし、それにも明確には答えていない。団長がこのような発言をしているのだから、この交流団の目的は不明だということである。丸山議員が団長の意思を確認したいという上記発言の動機は十分理解できる。もし、丸山議員が所属政党の依頼があってこの交流会に参加したのだとしたら、維新の会が謝罪すべきは、ロシアにではなく丸山議員に対してである。

追補: その後報道されている街中に出て「キャバクラに行こうよ」とか、それに付随する言葉については、丸山議員を弁護する余地はない。東大で何を勉強してきたのか? アホでも東大卒業できるということは、日本の大学教育の貧困を象徴している。(5・24)
 
 
補足:
1)日本語は難しい。難しいということは、日本語は出来の悪い言語だということである。例えば、漢字を覚えるだけでも大変である。その漢字能力を競う場面がテレビのクイズ番組に毎週出てくる。まるで、難読漢字に習熟することが賢い人の条件のような間違った情報(雰囲気、あるいは空気)を日本中に撒き散らしている。

補足の追補:(5月27日)補足の位置からは日本の過去の戦争と日本での言葉の使用法との関係を書かなければならない。日本でのコミュニケーションは、身分の上下関係を前提にして、その前提を考慮した日本語で行う。例えば参謀本部と中国の関東軍と話をするときには、上下の関係を考慮した言葉を用いる。従って、下が上に考え方を変更させることは、言葉を使って行ういる限り無理なことが多い。そこで暗に陽に用いるのが、参謀本部よりも上の天皇である。「我々は皇軍である」という意識を自分たちの内部に醸成して、暴走するのである。つまり、日本語は片方向に情報を流す機能しかない。(別途記事にする予定)