中央日報日本語版、52日の記事:“【コラム】我々全員が日本の「反省」を念願すべきなのか=韓国”には、日本に対する悪意とそれを正当化する論理の誤魔かしで溢れている。<br><br>
 
マスコミ人でありながら、欺瞞を何とも思わない厚顔無恥な記者が書いたのかもしれない。しかし、韓国とは、このような記事をマスコミ人が書く国であることを、そしてそれを国民が受け入れている国であることを、日本人全てが知るべきである。
 
以下、コラム記事の内容を黒字で、私の意見を赤字で書く。
 
1)最初に、ドイツのベルリンにある石材2711基が並ぶホロコースト記念碑と、その地下にあるユダヤ人虐殺の歴史に関連する展示館を紹介し、そのうえで、「東京の中心部にこれほどの規模で、“全世界太平洋戦争犠牲者のための追悼碑”を造成していたらどうなっていただろうか、と韓国人は想像しない筈はない」と書いている。<br><br>
 
 日本の戦争を犯罪と考え、その全体をナチスのホロコーストと同等に扱いたいと言う韓国の姿勢をはっきりと書いている。太平洋戦争を人類史上に残る犯罪として評価したいのだろうが、それは全く違う。西欧やロシアに散々に蹂躙された19世紀の東アジアの苦難と、それに唯一抵抗した日本の歴史を、一方的に蹂躙する歴史観である。
 
李氏朝鮮がその歴史の流れの中で、何を為したのか。清の属国であったが、南下してきたロシアに抵抗出来ず、ロシア領事館に国王が逃げ込んで政治をする「露館播遷」という恥辱はどこに置いて、日本を攻撃するのか?
 
確かに、朝鮮や中国、そして東南アジアへの侵略は、ロシアや欧米諸国に対抗する為と、更に、日本独自の利権追求の為という二つの目的があっただろう。それ故日本は過去の侵略行為を謝罪し、賠償相当の埋め合わせを行った。そして、それらを歴史の中に収め、未来へ向かおうと講和条約で互いに確認した筈である。 
 
その歴史的決着では、当時の韓国の国家予算の2年分に当たる経済協力金を支払った。それから半世紀以上経過している。その間、韓国は「漢江の奇跡」により先進国の仲間入りを果たした。その近現代史を全く無視している。近代史において戦争は外交の延長上にあるという世界の常識など、まともに対外戦争をしたことのない韓国には理解不能なのだろう。
 
2)記事では次に、韓国政府による“日帝強制動員犠牲者追悼碑”の建設を取材する為に、2014年6月パプア・ニューギニアに行ったときのことを記述している。第二次大戦のとき、日本の軍事基地建設の際に死亡した韓国人約4000人(出展なし)の追悼施設だという。その出張中に過去日本が建てた日本人犠牲者を追悼する慰霊塔も見たが、韓国追悼碑がある場所の34倍以上の空間に造成されていたと書いている。
 
 日韓併合条約の後、韓国は日本の一部だった。その国際的に定着した歴史的事実を、この記述は全く無視している。韓国人が当時の日本を日帝と呼ぶのなら、その一部を構成していたのは韓国人なのだ。従って、日本の靖国神社には日本統治下の朝鮮出身者も祀られている。
 
例えば、陸軍中将洪思翊について、どう思うのか。朝鮮出身であったが、当時の陸軍士官学校を卒業し、日本陸軍の中将になっているのだ。洪思翊はフィリピンで戦犯として処刑され、靖国神社に祀られている。植民地支配というが、この事実を「日帝による残酷な朝鮮支配」という文脈でどう説明するのか。西欧のような植民地支配で説明できる筈はない。
 
3)その後、ドイツの徹底したホロコーストに対峙する姿勢、加えて、ドイツ民間企業において新たに強制労役が露見した際、その企業は被害者に賠償した件などについて記述し、”このような真摯な姿勢が、ドイツの国際関係における指導的立場の基礎をなしている。もし、そのような姿勢がなかったなら、ドイツの現在のような国際的影響力はなく、「教養のない孤立した成金」になっていただろう”という意味の文章を書いている。
 
日韓基本条約とそれに付随する日韓請求権協定など一切無視して、「徴用工に賠償しない日本は、教養のない孤立した成金」であると言いたいのだろう。勝手なことを並べたてている。勿論、請求権協定において、全く想定されていなかったことが発見されたのなら、それは賠償の対象となる。それは協定にも書かれている。
 
最後のコラム記事の二つの節をそのまま書く。 
 
日本の「歴史挑発」は幸いだ。戦犯の位牌がある靖国神社に首相と閣僚が参拝して供物を奉納したからといって激しく批判する必要はない。静かに指摘しながら一つずつ書き残しておけばいい。<br><br>
 
日本では新天皇が即位し、「美しい調和」という意味の令和時代が開かれたと祝っている。その言葉のように世界の調和のために日本政府が右傾化から抜け出して周辺国に未来志向的な態度を見せればどうだろうか。いつもしかめっ面をしている隣人が突然笑顔で近づいてくる時のようにむしろ気味が悪いかもしれない。それでも拒むことでもない。少なくとも日本に怒ることを愛国の証票とし、「土着倭寇」容疑の反証とする我々の内部の幼稚な消耗戦から抜け出せるのだから。
 
 この文章に至っては、何か反論などを書く気すら失われてしまう内容である。このような隣国を持った日本は不幸である。「セオドア・ルーズベルトが、朝鮮半島は日本に任せる。その代り、フィリピンは我々が取る」と言った。(桂タフト協定)流石、諜報能力が優れた米国の判断である。
 
新天皇が即位して、騒いでいる場合ではない。その記念すべき日に、隣国の新聞はこのような記事を書いているのだ。日本人全てはこの記事を読むべきである。特にこの最後の文章を熟読すべきである。韓国は法も論理も、更には歴史的考察など一切無視し、反日を国是とする国である。まともに外交の相手にすべきではない。

(19:00編集)

追補:chuka氏のコメントへの返信:

コメントありがとうございます。
東京裁判でのA級戦犯の罪状は、平和に対する罪です。(注1)従軍慰安婦と言う名称は当時無く、1973年の千田夏光の本が初めで、戦時は、単に慰安婦でしょう。
 
女性の人権蹂躙の問題ですが、平時の思想である「基本的人権」を、戦時にそのまま用いるのは間違いだと思います。何故なら、徴兵制で集めた兵士を戦場で戦わせることが、基本的人権という思想に反するからです。戦場の兵士に、自由も命の保障もありません。戦争とはそう言うものです。
 
従って、自分の意思から仕事として慰安婦となった人には、補償は不要です。強制的に参加させられた女性は、補償を受ける権利があると思いますが、それが親族と慰安所運営業者によるのなら、補償責任は彼らにあります。従って、ケースバイケースです。
 
国家がその命令系統を用いて、女性を拉致したという吉田清治の告白(注2)は、単に金儲けと日本憎しの感情のためだったのですから、その問題で日本国が補償を問われることはないと思います。インドネシアでのオランダ人などの拉致被害者は、兵士の個人的犯罪だったので、彼らの戦争犯罪の処罰とその後の国家による賠償がなされたと思います。そのようなケースが韓国人にたいして、或いは日本本土の人に対してあったことが新たに見つかれば、時効停止をしてでも、賠償すべきだと思います。
 
慰安所の設置と管理に日本軍が深くかかわったことや協力したことが、国家とし責任が問われる問題ですが、それは東京裁判で問題になるほどのことではないでしょう。何故なら、戦場と性の問題はあらゆる戦争当事国の共通の問題だったからです。
 
もちろん、国家の補償にも任意性があります。戦時とは言え、半ば強制的に慰安婦にされた女性は非常に気の毒です。その様な方がたくさんいたことは事実ですから、それらの方々に何らかの補償をすべきと、国民が考えれば行政機関が動くのは当然のことです。


その際、戦後の補償はすべての戦争被害者に対して平等に行われるべきだということが重要です。問題は、その調査と個々のケースの評価をどのようにするかです。平時の物差しで測れば、戦争に参加したほとんどの人は悲惨な人生を送ったのですから、それを評価し補償することは至難のことです。
 
一方、戦争の加害者としての責任は、当時の行政の責任者のほか、彼らを選んだ一般国民有権者にもあります。その中には当然、当時有権者だった、朝鮮半島の人々、台湾の人々も入ります(ただし現在の日本国内に住む人)。高額納税者(租税3円以上だと思います。)はすべて有権者だったので、その点の差別はありません。
 
それでは、有権者以外は一方的に完全な被害者かというと、それも問題です。何故なら、当時でも国家のサービスをうけていたのですから。
 
そのように考えると、補償問題を考えるだけで国家が機能しなくなります。そのような事情から、独立した韓国政府には一時金を支払う形で、その後のことを一任したのです。日本本土の国民には一切その種の目に見えた補償はなかったので(戦死者には年金が出たと思います)、日韓基本条約と付随する請求権協定で全て過去の問題は終わったこととするというのは、韓国側には悪い話ではなかった筈です。

追補に対する注:

注1)太字下線分はchuka氏の2度目の指摘により修正した。

注2)吉田清治の本「私の戦争犯罪」は、済州島での慰安婦狩り(強制連行)を捏造した本である。最近、北野幸伯氏の「中国に勝つ日本の戦略」という本を読んでいる。田中メモリアムの歴史的意味が書かれているが、吉田清治の本はそれと似た働きを持つ本である。つまり、上記偽書の出版は、三一書房という出版社の名前(反日左翼の出版社)から考えても、個人的犯罪ではない可能性がある。
(6月1日追加)