日本の東半分では、台風の後の熱い一日が始まった。台風の時にテレビなどでよく聞くのが、避難勧告や避難指示という言葉である。最近、更に避難準備というシグナルも加わった。避難準備、避難勧告、避難指示のどれを聞いてから避難所に向かうべきか、考えてしまう人もいるようである。一方、テレビのアナウンサーは、「今後、少しの雨でも土砂崩れの危険があります。早め早めの避難に心がけてください」と言っている。この一連の日本の様相を(日本語の使いかたを)非常に不自然に感じる。
先ず、行政も報道も「心がけてください」という依頼の表現を何故用いるのか分からない。(補足1)テレビで紹介されていた避難している人の声として、「猫をおいてきたのだが、餌をやらないと可愛そうなので、困っている」(意味のみ再現)というのが流されていた。思わず、「猫がそれほど可愛そうなら、一時家に帰って餌をやって来ればよいのに」と心の中でつぶやいた。
行政の責任は、土砂崩れや水害の恐れのある場所とその危険性に関する情報を、簡単にアクセスできる形で提供すること;そして台風などが襲来したときには、できるだけ具体的で正確な表現で、危険性を周知すること、そして、避難所の準備をすることなどである。避難指示であれ、指示という言葉を用いるのは、行政が法的強制力を持つ場合に限るべきである。(補足2)
このような明確な防災体制が取れないのは、行政側のどこかに不正な企みが潜んでいるから、あるいは、潜んでいたからだろう。例えば、土地の有力者(個人であれ法人であれ)の意向を重視して、地方行政に携わる人間の地位保全(選挙対策や出世)、それらボスによるトラブルの火消しに対する期待(トラブル&その顕在化予防)があるからだろう。
地方の有力者(ボスたち)は不動産を持つものが多い。詳細なハザードマップを公開して容易にアクセス可能にすれば、彼らの持つ土地価格などに影響し、ボス達が不利益を被る可能性がある。また、行政側としても、固定資産税の算定基準が揺らぐ可能性がある。これらが、ハザードマップの詳細を出し渋る理由だろう。(補足3)
行政が上記対策の責任を果たしておけば、避難は具体的情報を聞いた住民の自主判断に任せるべきである。(補足4)個々のケースで、避難の失敗があったとしても、行政はアフターケアはすべきだが、責任をとる必要はない。
短くまとめると、自然災害に対しては、平時は広い範囲で個人の意向を汲みあげて対策実施する方向で、災害時には早期に具体的情報を提供し、避難等の対策は個人の自主判断に任せるという姿勢で、災害後はできるだけのアフターケアをするという姿勢で、夫々臨むべきだと思う。
補足:
1)「“早めの避難をお願いします”は依頼文ではない。“お願いします”は進言の意味を婉曲に表現する日本語独特の文章なのだ」という人が多いかもしれない。「既に周知しております避難所への早めの避難をお勧めします」といえば良いではないか。
2)日本に避難命令はない。実質的に強制力を持つのは、仙台の原発事故のときに出された「警戒区域への指定」である。「社会の枠組みを守る」というレベルであれば、自主判断での避難ではなく、住民全てを強制避難させるべきである。自主判断での避難を促す情報でありながら、避難指示という強制を伴うような言葉を用いることが問題なのである。
3)例えば私の住むK市では、国土交通省のハザードマップ一覧から見ようとすると、「ページは見つかりませんでした」及び、「下記リンクにアクセスしてください」と表示され、K市の公式ホームページへリダイレクトされる。そこから、4回くらいクリックしてようやく地区のハザードマップにたどり着くのである。
4)だいたい、勧告や指示という号令で人を動かそうとする考えがあさましい。