先の大戦の戦争における天皇の責任について あるyoutubeの動画の下で、日本が帝国だったかどうかから先の大戦の戦争責任まで議論になった。そこで、ある相当年配の方(ここではW氏と書く)が議論に参加され、先の大戦の戦争責任について以下のような考えを出された。それに対する私の反論を今回の記事として再録する。実際の議論の進行を上記サイトでご覧になれば、より面白いかもしれません。
Wさんは、①“先の大戦は昭和天皇の号令で始まり、そして、終わった。しかし、戦争の実質的決定権は東条内閣にあった”と言われます。その次に、②“後半は話がすり替わって戦争責任の話になっている。戦争責任が発生したのは、負けたからである。何故負ける様な戦争をしたのか、当時は負ける可能性は議論になかったのか、などの議論が生じる”と。そして、最後に③“一番誰が悪いのかと言えば、それはそんな政府を作った国民である”と結論されました。
このお考えには賛成できません。①と②に責任を分けるのはおかしいと思います。今問題にしているのは、負けるとわかっている戦争を始めた責任です。「戦争に負けた責任」を取り出して議論できるのは、勝つか負けるか当時の十分知的な人間のレベルでわからない時です。しかも、戦争に負けた責任というのは戦術的な責任を問う比較的小さい問題です。ここでは国家の運営責任(戦略責任)の話をしている筈です。
②の負ける可能性は、海軍の米内光政や山本五十六により明確に指摘されていました。真珠湾を奇襲したのは、山本五十六の考えですが、「半年位なら暴れてみせる」と言って戦争に入ります。つまり、“負けるのはわかっているが、同じ負けるのなら十分暴れるのが軍人としての意地だ”ということです。(半藤一利著「昭和史」)
③の結論も、問題の認識がずれた結果のものだと思います。戦争を決めたのは国民ではなく、内閣です。勿論、国民の代表を選挙で選んでいるので、国民に最終的な責任が来ます。それは、肉親の戦地や大都市爆撃での死という形で、そして戦後の貧困という形で、責任をとることになりました。我々が話しているのは、その最終責任ではなく、政治的社会的責任です。つまり、我々は、高度な国家という組織を作り、その運営を政治家という国民の代表に委任しています。その国家の上層部が、国民のために働いたのかという責任を考えているのです。
私の考えでは、その責任は内閣及び軍令部と参謀本部、及びそれらの中心に存在する政治機関としての天皇だと思います。ただし、神道の中心におられる天皇には無関係です。そして、この様に天皇を政治利用する体制を造ったのは、明治維新の片方の主人公である薩長軍だと思います。
先の戦争の責任を、現在までの国家の上層部は何も明らかにしていません。その理由は、明治維新に始まる薩長政治とそれによる天皇の政治利用が、その責任の中心として明らかになるからだと思います。それを洗いざらい表に出せないのは、現在もその政治体制の延長上にあることが主なる原因だと思います。
更に、その作業を始めると天皇の存在に疑問を呈することになる可能性があるからだと思います。つまり、民族の親的な天皇と明治以降に利用した政治的な“天皇という機関”の分離を、頭の悪い今の政府では国民がすんなり納得する形で出来ないからだと思います。しかし、それをやらなければ、22世紀に生き残れる日本国は作れないと私は思います。