補足:(本文と補足を通してgoogle blogに書く:http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html


1)ポツダム宣言には天皇の地位に関する記述はなかったので、政府は「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」と8月10日(1945年)連合国側へ回答した。しかし、12日に米国から「降伏の瞬間から、天皇と日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属する」という回答が届いた。従属するという文章に議論が起こりまとまらないので、天皇は14日の御前会議で宣言の受諾を確認された。内閣書記官長の書いた終戦の詔勅には、国体の護持に成功して降伏するとの一節が入っていた。しかし、皇室の安泰について、米国政府は何の約束もしていなかった。


2)マッカーサーの資格は連合軍最高司令官(SCAP)と米軍の極東司令官であった。SCAPとして行うことには、米国国務省の力は及ばなかった。


3)ポツダム宣言第12項「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。」

4)この時、民政局長のホイットニーから、他国からの天皇を処罰せよとの圧力が強くなっているので、この案を作ったという説明がされた。

5)「天皇が統治するが、各省大臣は天皇を補弼する」という権力の在り処が分からない憲法では、最も大事な場面で天皇の聖断を仰ぐという形になる。これではまともに国家の運営などできないことは何度も学習してきた筈である。それでも、この形に拘る幣原首相や吉田外相などの日本の官僚出身政治家は、性根から自分は一ミリのリスクも取らず、長いものには巻かれるのである。
新憲法に関する人民投票は4月10日行われた。幣原内閣は22日に総辞職し、その後の選挙で鳩山一郎の自由党は第1党となるが、直後に鳩山は追放される。マッカーサーはまともな政治家は徹底的に追放するのである。


6)これは「日本国国民の自由に表明した意思」というポツダム宣言第12項の体面を繕うためである。そして吉田は、「国体が維持されるという保証があったから日本はポツダム宣言を受諾したのであり、この憲法で国体は事実上維持されたと言明した。しかし、民政局から「日本の降伏は無条件降伏である。発言を訂正せよ」とのクレイムがついた。つまり、GHQはポツダム宣言にこだわっていないことになる。因みに、吉田はこの時第9条について「これは自衛の戦争も否定するものだ」と言っている。


7)3代前は英国人(スコットランド)だったというが、名誉欲が強く、制服を嫌い格好つけることに熱心、絶対に自分の間違いを認めない性質など、この人のキャラクターが日本統治に濃く反映されたのではないだろうか。マッカーサーが解雇されて米国に帰る時、20万人が沿道で見送った。それを、マッカーサーは回顧録で200万人と書いているという。このエピソードも、この人の性格をよく表していると思う。

8)ケナンは、「パージは全体主義的だ」と決めつけている(111頁)。更に、東京裁判についても、「戦争指導者に対する制裁は、戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義とは関係ない。またそういう制裁をいかさまな法手続きで装飾すべきでない」と言っている。
米国の政治勢力も一枚岩ではなく、政治や外交においても、多くの勢力のせめぎあいの結果であると思われる。