オバマ大統領が銃規制に乗り出した。大統領令でできる範囲だというが、議会では反対論が根強い。それは、米国憲法に国民の武器を持つ権利が記されているからだという。人間は、自分の命を守る権利を持つのは当然である。米国ではその基本的権利を担保する意味で銃を保持する権利が認められているのだ。
もし、突然に巨大な体格の強盗らしき人間が目の前に現れたとしたら、そしてこちらに武器も十分な腕力もなければ、その力に屈するしかない。しかし、銃を保持し、且つ、無断で”自分の領域”に侵入した時点で発射する権利が与えられていれば、自分の腕力に関係なく対等の関係を維持できるのである。
問題は、銃を持つ権利が保障されないと、その社会において命或いは人権を侵される危険性が、一定以上あるかどうかということである(補足1)。
銃保持が解禁になると、普段柔和な人でもたまたま深酒に口論などが重なって一旦生じた怒りを抑えきれない場合に、手元に銃があれば思わず発射してしまうようなケースがあるかもしれない。そのようなケースを事故的銃使用と呼ぶとすると、日本のような国でも(補足2)銃保持が解禁になった場合、事故的銃使用が増加するだろう。更に、犯罪を犯す人間が、武器をナイフから銃に換えることで、失われる命が増加するだろう。
従って、銃を使用して命と人権を守ることに成功する場面が、抑止力としての場合を含めて、その損失を十分埋め合わせる程度に頻繁でない場合、銃保持を解禁するのはマイナスである。
つまり、銃が手元にあった場合、事故的な銃発射よりも違法な暴力から逃れるための銃発射が相当に多いと予測されるのなら、銃保持は解禁されるべきである。また、その逆のケースでは銃保持は一般には禁止されるべきであると考える。(on とoffの議論)
米国が銃規制を強めた場合に、社会全体で暴力による権利の侵害が著しく増加するならば、そして、それと比較して事故的な銃使用が圧倒的に少ないのなら、銃規制の強化はすべきではないと思う。 (微分的な議論)
つまり、銃使用による悲劇があるという理由だけで、銃規制を強化するという主張では、論理に不備があると思う。社会における人々の間に、銃規制を強化し得る程度に信用が高くなっているという主張がなければならない。オバマ大統領がそのような主張をしているのだろうか?
補足:
1)米国の場合、力による人権侵害に対して原則論的な拒否反応があるのではないかと思う。それゆえ、統計の問題ではないという反論があるかもしれない。
2)日本では、富裕層と最貧層に位置する 人が顕在化した形で混在するケースが少ないので、街中の安全性が他国に比較して非常に高い。また、思考パターンも体格も似た人が多く、更に、町内会などの相互監視的ネットワークが形成されており他者の行動を予測できる可能性が高い。