1)今朝(2015/11/3)の読売新聞31面の記事によると、早稲田大学は2日小保方晴子氏の博士号を取り消したと発表した。早稲田大学鎌田薫学長は、小保方氏が修正して再提出した博士論文を再調査した結果「審査するべき完成度に達していなかった」と述べた。また、早稲田大学は、2006年以降に提出された博士論文2789本についても不正がないか調査した結果、89件に引用論文の記述の不備が見つかったが(補足1)、いずれも博士号の取り消しに該当しないとした。
これに対して、小保方氏は「指摘された問題点を全て修正して論文を再提出した。(取り消しは)学術的な理由でなく、社会風潮を重視した結果だ」とコメントした。また小保方氏の代理人三木弁護士は、「不合格が前提の手続きだ。決定の取り消しを求めて、提訴することも視野にいれている。」と語ったという。
2)審査もしないで何故「審査すべき完成度に達していなかった」と言えるのか?非常に不思議である。更に、指摘された項目について、修正してもなお審査すべき完成度に達しないような論文なら、何故最初の審査で合格となったのか? それほど、箸にも棒にもかからない論文を審査して、博士号授与を決定した教授連中の処分はどうなっているのか? 彼らがそれほどの能力しか持たないとしたら、何か処分をした筈だが、どのような処分なのか?
先ず、審査にあたる教授達がまともな研究者だったとしたら、何故、学位論文の再審査が必要なのかについても、今までの記述や発表ではわかりにくい。博士論文について若干説明してから、私の意見を述べる。
学問の世界は日進月歩である。その中で研究とよぶ”格闘”を通して、一つあるいは幾つかのテーマで自分の考えをまとめ、博士論文として提出する。主査一人と副査数人が審査し、それが一定のレベルに達していると判断すれば、合格となる。その後、書かれた結論がたとえ最終的に間違っていたと解っても(極めて稀であるが)、博士号が取り消されることは通常ない(補足2)
例えば、地動説と天動説が張り合っていた時に、誰かが天動説で一定の説得力のある論文を提出して博士号を取得したとする。その後天動説が否定されてもその博士号は取り消されることはない。それは、地動説は天動説を否定する過程で確立されたのであり、最後の地動説の論文だけで確立されたわけではないからである。
文章や画像のコピー&ペーストであるが、文章については自分の書きたい主旨に合致しておれば、一部の文章を借用するのは全く問題ではない。画像についても、一般的な説明(例えばイントロダクションに用いる)の画像なら、問題はないだろう。ただし、実験結果の写真などが不正に使用されたのなら、問題であり博士号の取消理由になると思う。しかし、それが取り違いなどのミスであり、元々使う予定だった正しい写真に置き換えられたのなら、博士号の取消理由にならない。
もし、最初提出された小保方氏の博士論文が、当時の判断基準で合格するレベルであったのなら、取り違えた写真などを差し替えるだけで良いはずである。もし、最初の論文が不十分なものなら、つまり、指摘事項の修正が最初の論文提出前になされていたとしても、箸にも棒にもかからないレベル(つまり、審査の必要がなく不合格と言えるレベル)だとしたら、そのような判断をした審査員らの責任をどう判断し、彼らをどう処分するのか発表するべきである。
更に、差し替えた写真が、小保方氏の博士論文の中に当初意図した形で当てはまるかどうかなどの判断は、門前払い的にはできない。再度審査しなければ無理である。
以上、現状では、三木弁護士の考え方の方が正しいと私は思う。
補足:
1)引用論文の記述の不備なら、事務員でも探せる。引用文献の著者が抜けているとか、発表年がないとか、ページ番号が書かれていないとかだろう。この記述が大学の発表通りなら、まともな調査などしていないだろう。
2)多くの博士論文は挑戦的な内容のものが少なく、間違いが指摘されることは稀だろう。正しい手順で得た実験結果が前提だが、後で間違いと解るモデルや論理で、複数の審査員を説得するレベルの論文が書ければ、研究室が長年行っている研究の一部を切り出して提出したような論文(最も多いタイプ)より価値は高いだろう。