1)豊田のゴミ屋敷火事についての記事(8/30)の続編として、地方自治体の首長のあるべき姿について政治屋になったつもりで考えてみる。
 
政治屋にとって、次回選挙に勝つ事が現在のあるべき姿の全てを決める。豊田市の市長もこの点では合格だろう。実際、地方自治体の首長の多くは、法的な手段をとると冷酷な印象を有権者に与えるので、次の選挙のことを考えて何もしない場合が多い。直接迷惑を被る人でも大声をあげるひとは日本には殆どいないので、無視しても反撃はないのだ。一般に、何も言わない多数は無視し、明確に反対の立場をとる少数を無くすことが、政治屋としては賢明である。
 
例えば、何か改革を行なおうとすると必ずそれによって利権を失う勢力の強い反対にあう。従って、何も改革などしない方がよいと政治屋は考える。
 
社会の動きにその地方行政が遅れてしまい、不満が高まった場合には、選挙に落ちれば良いのだ。その方針をとる方が、結局在任期間が長くなり、名誉も利益も多くなる。何故なら、日本には何もしない罪は存在しないし、在任期間の長さに応じて褒賞など社会の評価もあたえられるのだから。
 
大阪府の太田房江元知事が手本だ。東大卒、元中央官僚の知性がありながら、何の改革もせずに知事を二期つとめ、退職金もたっぷり貰った。橋下徹が現れたのは単に一時の不運である。その証拠にその後自民党から国会議員にもしてもらった。
 
それに比べて橋下は政治屋反面教師だ。府民のことを考えて、改革を行なっても、”しんどい”だけなのに。この国は本当の危機がくるまで変わりはしないのだ。 
 
橋下財政改革にありがたみを感じる知性などない大衆は何の頼りにもならないけど、怨みに思う少数は恐ろしい。 結論? 金があれば、中国人同様、カナダかオーストラリアに逃げる方がよい。
 
2)”政治屋になったつもりで”という設定とは言え、たいへん後味の悪い文章を書いてしまった。そこで少し追加したい。週刊東洋経済の8月29日号に、「日本が世界地図から消滅しないための戦略」と言う本の著者、月尾嘉男東大名誉教授、へのインタビュー記事が掲載されている。古代都市国家のカルタゴやベネチア共和国は、長期にわたって安泰で、繁栄を謳歌していたのに、地球上から消えたしまった国である。現在の日本がこれらの国に似ているというのである。
 
カルタゴが亡んだ原因として、1)防衛を自国の力でおこなわなかったこと、2)経済大国であったが、文化大国ではなかったこと、3)ローマの政治家(大カト)が「カルタゴ滅びるべし」と、ローマ市民間に反カルタゴの空気を醸成したこと、だそうである。
 
日本がカルタゴの様にならない為には、独自に防衛力を持ち、一人前の政治文化を育て、隣国に「日本滅びるべし」と言わしめないことが肝心である。防衛を自国で行なう第一歩を踏み出そうとする動きを封じるべく、政治屋の見本とも言える野党の党首達が揃って協力する光景に、日本国民は嫌悪感を感じないのだろうか。
 
小沢一郎氏も典型的な政治屋の一人として、安保法制反対の輪の中心にいる。これが元自由民主党幹事長の姿なのだ。政治屋天国日本を象徴する光景ではないだろうか。
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