辛坊治郎さんら二人がヨットで太平洋横断を目指して出発して一週間後、太平洋で遭難した。この24日、本州から千数百キロの洋上を救命ボートで漂流中、波高3mの荒れる海の中海上自衛隊の飛行艇により救助された。辛坊治郎さんのテレビでの活躍を見て来た一人としてほっとするニュースであった。そして、テレビで冷静且つ客観的、別のことばでいえば現在の日本の政治経済にかなり批判的な、解説をされていた辛坊さんが、直後の会見で救助隊員からもらったワッペンを示しながら、「この国に生まれて本当に良かった」と話されている姿を見て、漂流中数時間の恐怖を理解することができた。
 この件は結果として非常に良かったと思うが、「この国に生まれて本当に良かった」という発言は、大自然の前ではか弱い一人の人間でしかないことを強く意識されたと思われる辛坊さんにとっては当然のことばであっただろう。しかし、この救助を安全な本土で指揮していた幹部自衛官にとっては、別の思惑もあっただろうと私は思ってしまった。つまり、辛坊治郎さんが非常に著名な方だから、自衛隊の存在価値を最大限デモンストレーション出来る機会だと考えたのではないか?或は、もし救助出来なかった場合には、直ぐ近くまで行きながら”自国民を救うことが出来なかった自衛隊”という負の評価が国民に強くのこるのではないか?どちらかの理由で救助作戦を強行したのではないか、という考えである。そう思った一つのきっかけは、自民党の国防部会で周到なる準備をせずに太平洋横断というだいそれた挑戦をしたのではないか?と辛坊さんを批判する発言が多く出たことである。注1) 国防部会のメンバーは、自衛隊の装備や実力について一般国民より遥かに知識を持っている筈である。通常の作戦で淡々と出動してマニュアル通りの救助であったなら、そのような批判はでなかった筈である。つまり、あの情況下の自衛隊による救助が、辛坊さんも会見で言及されたように、十数名の隊員の命を懸けるものだったのだろう。従って、「自分が著名人で本当に良かった」というのが、真相ではないだろうか。一般の漁民であれば、「荒れた海故に現場まで救助に向かったが、限られた燃料を考えて引き返さざるをえなかった」と言う結末だったかもしれないのである。
 振り返ってみれば、辛坊治郎さんのこの計画をテレビで見て知ったとき、何故?と思った。太平洋横断の本当の目的は何だろう?障害者セイリングで最初の太平洋横断を目指すなら、何故福島に立ち寄る必要があるのだろう?そのような多くの疑問が頭をよぎった。救助されたあとの辛坊さんのことばは、表向きには兎も角、本当に命を懸けて出発されたのではないのではと思ってしまった。つまり、ヨットが本当に好きだからとか、太平洋横断が人生の夢だったからというだけではなく、残り少ないかもしれない自分の人生を華々しく脚色するという動機が混じっており、それが事務局の思惑と一致したからではないかと疑ってしまう。おそらく自民党の国防部会も同じように考えて、辛坊さんを批判したのだろう。ブログを全部消去されたこともそれを示している。
 今回の件、単純に良かったと済ませば楽である。しかし、日本国政府との関係において、一個人と言う点で同じで、且つ、法的にも同じ大きさであるべきであったとしても、実際には巨岩のような存在から砂粒程度の存在でしかないレベルまで、差があり得るのではないかと思ってしまう。選挙権においては、たかだか1-2倍の一票の格差でしかなくても憲法違反だと騒いでいる。しかし、この国務執行現場での”一人の価値における差”は、数百倍あっても解消されないだろうし、表には明らかにされないだろう。

注1)国防部会で個人の行動を批判するのはおかしい。日本は法治国家とは言えない面があるための特殊な現象である(今月の国家公安委員長の発言の項参照のこと)。自衛隊が本来ならあり得ない対応を余儀なくされたということだろう。この国の報道が稚拙なのは、この遭難場所が領海外なのか内なのか?それと関連して、自国民保護を自衛隊が行う際の法的根拠、その際の具体的ルールについて、殆ど説明が無い点である。