人間社会は、普遍的に表とそれ以外(裏)の多重(二重)構造を持つ。そして、我々が人間として生きる為にはこの二重構造(一般には多重構造;以下省略)は必須である。そのことを十分熟知していない大阪府知事は、「沖縄米軍は風俗をもっと利用した方が良い」と現地の米軍司令官に表の世界で堂々と言った。その言葉が批判され、日本改造の旗手と多くの人に看做されていた「日本維新の会」が、その地位を殆ど失ってしまった形である。
この表と裏は、非合理的な残存物的構造であると看做されている(注1)が、そうではない。人が家族、地域社会、国家、国際社会という数段階の構造(表社会の)を持つ高度な文明社会を作って生きている。人は法や会議での討論、つまり、“ことばとそれに対する信用”を主な手段として、その社会構造を保っている。それは丁度、経済活動に置ける“お金(とそれに対する信用)”を用いるのと同じである。経済活動においてお金が万能なように見えるが、実はそうではない。お金にたいする不完全な信用(credit)が、時々溜まった“どうしようもないもの”を金融恐慌(credit crisis)という形で解消している。(注2) “ことば”も同様に、完全な信用を人と人の間に確立できないものである。神の世界なら、それは成立するが、人の世界ではそうはいかない。つまり、“ことば(或はことばの原型)”は所詮、神からの借り物なのである。(これについては既にふれた。HP記事へジャンプ )
しかし、人間はこの社会を金融(経済)よりもずっと安定に維持してきたと思う。それが可能であったのは、この社会が裏と表、或は更に複雑な多重構造を持ち得たからである。そして、その構造毎に、“言葉”が作られて、その維持及び活動の為に用いられている。裏の社会の言葉は、表の世界では用いられない場合も多く、同じ言葉として機能しないのである。また、当たり前のことであるが(注1として既出)、この多重構造はそのほとんど閉じた構造により安定に保たれて来たのである。この多重構造の中で、表社会は全ての他の構造に対して優位性を持つ。従って、表社会のみを正当な社会であり、裏の多重構造を無視しようとする単純な人も多い。ただ、24時間表の論理を振りかざす人は、裏にひそむ構造を表にむき出しにしようとする人同様、何らかの形で表社会からも駆逐されることになる。この議論は、引き続いて行うが、今回はここまでとして、主題に戻る。(注3)
橋下知事の思い違いは、人間社会の中で確固とした地位を持つ所謂風俗の世界は、実は表の社会で用いる“ことば”で、本質的な議論が出来ないことを知らなかったことである。つまり、一つの言葉で、単一構造の表社会のみでは、人間は社会的な存在として生きられないことを知らなかったのである。このことは、一般の橋下さんよりもずっと低学歴の人も本能的に理解している。そして、「理屈だけではないのだよ」と言うのである。

注1:表の社会ではそういわざるを得ない。表は表で閉じた(集合論的な意味)構造を持っているからである。
注2:複数のお金をつくることで経済をもっと安定にできるかもしれない。例えば、政府の活動には政府の紙幣を発行しそれを用いて行う。その日銀券との交換レートは、その政府の優秀さによって変化する。当然公務員は政府紙幣で給与をもらうのである。実際、パチンコ屋の景品(今パチンコをやらないので知らないが同じだろう)、マイレージ、ポイントなどの局所的なお金が現在でも小規模に用いられている。
注3:個人の領域でも、表の顔と心の中は異なる。表社会は、この表の顔で参加する(或はすれば良い)社会である。多重構造社会の必要性は、この人が持つ、表と心の内部という二重構造(或は多重構造)に起因するのだろう。