大阪市のバスケット部指導員による体罰の問題が議論されています。体罰を受けたとされるキャップテンの自殺という結果を深刻に受け止めるのは当然のことであり、遺族の方の悲しみは他者が共有出来ないレベルであると思います。ただ、学校を退学するなどを含めて他にとりうる道があったのに、何故自殺を選んでしまったのか?を考えると、問題は複雑であることが判ります。恐らく、その高校では素質に恵まれた優秀な選手であり、体罰に抗議するとともにそこでの選手を止めることが、強い責任感とバスケットボールへの愛着故に、選択肢の中に無かったのだと考えられます。最悪の結果になったのであるから、体罰が行き過ぎであったことは明白です。つまり、コーチが体罰で教えようとしたことが、コーチの予想以上に学生本人に伝達されており、それ以上の体罰は全く不要であったことになります。
ただ、通常の暴行事件と異なるのは、多くの同部先輩が卒業後そのコーチの指導をビンタ(平手打ち)と伴に受け入れている点にあります。特に今回のビンタが酷かったのかどうか、又、その原因はどこにあったのかの調査がなされる必要があると思います。
指導や練習の厳しさは、どのようなスポーツ種目であれ、職業であれ、一部のずば抜けた天才を除いて、一流になるには通過しなければならない関門かもしれません。そこを通過出来ないと判れば、異なる道を選ぶべきですが、その決断は本人にとって非常に厳しいことだと思います。この選手が自殺という道を選んだことは、そのスポーツに対する愛情と、一流に近い優れた能力とを証明しているのではないでしょうか。
従って、安易に「ビンタを含む厳しい指導を無くしてしまえ」というのでは、その他の多くの一流になろうとしている選手からも、一流への道を閉ざしてしまうのではないでしょうか。おそらく、このコーチの先生はもはや、一流のバスケットボールの選手を育てることは出来なくなるかもしれない。それでよいのですか?と亡くなった選手に聞けるものなら聞いてみたい。もし、イエスなら、その先生と学生の間には私憤のようなものがあったのだろう。しかし、それがノーなら、コーチの先生の解任の後、不幸な出来事であったということで決着させるしかないだろうと思う。亡くなった学生が証言できませんから、この私憤があったかどうかを詳細に調査するべきであると思います。このような文章を書くのは、たいへん遺族の方には申し訳ないのですが、あえて投稿させていただきます。
補足:
子供故に他の道をとるという柔軟な思考が出来なかったのではないかと言う意見があり得ます。この点に関しては、両親と担任の方を始め周囲の助けが必要だったのかと思います。ご両親も担任の方もこの”ビンタ”が今までも何度もあったことを本人などから聴いていると思います。そこでも、ひょっとしてインターハイ出場などの為と思って見過ごされていたのではないでしょうか。私は、指導者の体罰的な指導には原則的には反対です。個人の自由を束縛するからです。ただ、一流のレベルに達するには、本人或はチーム構成員とコーチを含めた全体の中での緻密なコミュニケーションが必要であり、そこには一般人の常識はそのまま当てはめられないのではないかと想像します。従って、集団の力の向上を目的に行われてきたビンタのようなものを一切禁止すべきかどうか?これは微妙な問題です。勿論その場合でも、厳しい指導があり得る事に対する合意が入部の際に無ければならないと思いますし、何事にも限度はあります。例えば、相撲界などでは厳しい指導に対する暗黙の合意があって、部屋に入っていると思います。
何れの場合でも、一定期間毎に社会一般の常識に照らすという作業が必要だと思います。このビンタ許容文化は、一朝一夕に出来たのではないので、体罰一切禁止となれば、統制のとれない教室や運動クラブを抱えて、学校を中心とした社会が右往左往しながら、他の道を探すことになると思います。
=== 知恵ノートでの閲覧が14000を超えています。(4/15)===
ただ、通常の暴行事件と異なるのは、多くの同部先輩が卒業後そのコーチの指導をビンタ(平手打ち)と伴に受け入れている点にあります。特に今回のビンタが酷かったのかどうか、又、その原因はどこにあったのかの調査がなされる必要があると思います。
指導や練習の厳しさは、どのようなスポーツ種目であれ、職業であれ、一部のずば抜けた天才を除いて、一流になるには通過しなければならない関門かもしれません。そこを通過出来ないと判れば、異なる道を選ぶべきですが、その決断は本人にとって非常に厳しいことだと思います。この選手が自殺という道を選んだことは、そのスポーツに対する愛情と、一流に近い優れた能力とを証明しているのではないでしょうか。
従って、安易に「ビンタを含む厳しい指導を無くしてしまえ」というのでは、その他の多くの一流になろうとしている選手からも、一流への道を閉ざしてしまうのではないでしょうか。おそらく、このコーチの先生はもはや、一流のバスケットボールの選手を育てることは出来なくなるかもしれない。それでよいのですか?と亡くなった選手に聞けるものなら聞いてみたい。もし、イエスなら、その先生と学生の間には私憤のようなものがあったのだろう。しかし、それがノーなら、コーチの先生の解任の後、不幸な出来事であったということで決着させるしかないだろうと思う。亡くなった学生が証言できませんから、この私憤があったかどうかを詳細に調査するべきであると思います。このような文章を書くのは、たいへん遺族の方には申し訳ないのですが、あえて投稿させていただきます。
補足:
子供故に他の道をとるという柔軟な思考が出来なかったのではないかと言う意見があり得ます。この点に関しては、両親と担任の方を始め周囲の助けが必要だったのかと思います。ご両親も担任の方もこの”ビンタ”が今までも何度もあったことを本人などから聴いていると思います。そこでも、ひょっとしてインターハイ出場などの為と思って見過ごされていたのではないでしょうか。私は、指導者の体罰的な指導には原則的には反対です。個人の自由を束縛するからです。ただ、一流のレベルに達するには、本人或はチーム構成員とコーチを含めた全体の中での緻密なコミュニケーションが必要であり、そこには一般人の常識はそのまま当てはめられないのではないかと想像します。従って、集団の力の向上を目的に行われてきたビンタのようなものを一切禁止すべきかどうか?これは微妙な問題です。勿論その場合でも、厳しい指導があり得る事に対する合意が入部の際に無ければならないと思いますし、何事にも限度はあります。例えば、相撲界などでは厳しい指導に対する暗黙の合意があって、部屋に入っていると思います。
何れの場合でも、一定期間毎に社会一般の常識に照らすという作業が必要だと思います。このビンタ許容文化は、一朝一夕に出来たのではないので、体罰一切禁止となれば、統制のとれない教室や運動クラブを抱えて、学校を中心とした社会が右往左往しながら、他の道を探すことになると思います。
=== 知恵ノートでの閲覧が14000を超えています。(4/15)===