日本の社会と政治の分析に関する質問だと思います。基本的な点でちょっと私の分析と異なります。それは、日本にはそもそも日本には公私の区別が無かった或は薄かったというのが私の考えです。たぶん天皇家を頂点にした疑似家族社会とも言うべきかなり原始的な形態を日本はとってきたのが原因だと思います。従って、外国はその社会の外であり、その来寇は天災と同じレベルの出来事だったのです。これには四方を囲む海の存在も大きいと思います。一方、大陸の国々には古くから外国と社会(=国際社会)を為すという意識があり、ある時は友好的であり、ある時は敵対的な関係であるが、互いに破壊的レベルまでの対立は例外的(=戦争)であるという”外交”という付き合いが古くからあったと思います。例えば朝鮮国は、長い間中国の臣下であり、国王は中国の皇帝からその地位を認められるという関係でした。武士のレベルでは藩と藩の関係や藩と幕府の関係がありましたが、それら武士の心の中にも天皇家を中心にした日本国の存在は、あった筈です。これら藩と藩の関係で藩の趨勢が決まるという経験が、明治維新以降の西欧社会に追いつく時代には、大きな働きをしたと思います。しかし、先の大戦で均質な日本国になった上に、外国に対する国民の意識は不変ですので、お目出度い外交しか出来ません。現在の政治家は、完全に骨組みを破壊した日本国に民主主義を持ち込むという米国の陰謀により、平均的日本人の感覚を持つ事を強制され(つまり、選挙に勝つ上で)、非常に低いレベルにとどまっています。克服には、現在政治を司っている霞ヶ関の対米従属官僚を完全に入れ替える必要があります。それには革命的なことを政治に持ち込む必要があります。 橋下路線が一時チャンスを握りかけたのですが、残念ながら石原慎太郎という古い体質の右翼人(霞ヶ関官僚の裏返しにすぎません)をトップにするという過ちで失敗しました。今後、地方分権の名を借りて、国家中枢を東京から地方に移すなど大胆な改革をしないと駄目だと思います。そのような改革が無い場合、没落して再度焼け野原からやり直すことになると思います。東京大学の学風はこの霞ヶ関官僚の里になっていますので、日本の学問の中心を東大から京大に移す(つまり、東大の解散)なども面白いと思います。