その中で、現代人は、異様なほどに視覚に対する偏重がある。
情報を得るために、片時もスマホを手放せない。
それらを使って音声で情報収集するより、ほとんどは視覚から収集する。
視覚に頼るのは、手っ取り早く情報を与えてくれるように思えるせいでもある。
18世紀の思想家・ルソーは、そんな偏重に対して手厳しい。
ルソーの肖像彼の著書『エミール』の一節に、
「間違った印象を伴うことなしに遠くにあるものを見つけることはできない。
視覚は我々のすべての感覚の中で一番過ちやすいものだから」とある。
すなわち、視覚で捉える時は、ただ見るだけではなく、印象を想起しながら見る。
そんなものが働くがゆえに「一番過ちやすい」ということらしい。
その昔は、聴覚や嗅覚などは、今より、はるかに重要な感覚器官であった。
本来担当すべき器官を越えて「共感覚」の如く捉えてきた。
たとえば、古い言葉に「酸いも甘いも嗅ぎ分ける」などの表現がある。
「酸い」や「甘い」を感じるのは、味覚であるハズ。
それが「嗅ぐ」という言葉に置き換えられている。
また、「いい人間か悪い人間かを嗅ぎ分ける」などの表現もあった。
見た目だけではなく「嗅ぐ」という嗅覚で人を判断したりしたようだ。
19世紀の小説家・バルザックの小説『金色の目の娘』の中で、
「魂は何故か白い色に愛着を感じ、愛は、赤い色を好む」
と書いている。
本来ならば、別の感覚器官で捉えるべきものを、視覚的に捉えているとも言える。
思えば、明治から昭和の時代までを生きた、
ちょっと変わった霊能者・出口 王仁三郎(おにさぶろう)の言葉に、
「耳で見て、目で聴き、鼻でもの食うて、口で嗅がねば、神はわからず」とある。
視覚にばかり頼りやすい現代人には、こんな感覚で生きるのがよろしかろう。
*無断転載を禁止します。
*严禁复制粘贴**本"Boots strap"博文禁止复制粘贴。如有发现,本人将采取法律措施。
*2カ所のブログランキングに参加しています。
↓↓下のアイコンにポチッとお願いします。押すとランキングのページに行きます。お手間ですが戻ってきて、もう一つ下のアイコン(にほんブログ村)にもポチッとして頂ければ、、、。

エッセイ・随筆ランキング
↓↓ にほんブログ村は、こちら。
にほんブログ村
フレンドリーでリーズナブルな外国語スクール
*外国語リニア
芦屋市大原町12-1 プティビル 201
<了>