姉さん、事件です! | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

19世紀初頭のイギリス・ロマン派詩人・ワーズワース( Wordsworth) は、
以前は、多くの訳詩が出ていたが、最近、あまり眼にしない。
彼の詩を原文で読もうとすると、古典的表現が多くかなり骨が折れる。
ただ、世の中に対訳本なるものがあるので重宝。
ワーズワス詩集
彼の詩に『幼時を憶うて永生を識る頌 (Ode on Intimation of Immortality)』
という邦題がついた詩がある。
長い詩なので、端折って紹介すると、「幼い頃に見たものは、すべてにわたって美しく輝いていた。今、年老いて、そのような眼で見ることが出来なくなってしまっている。
だけども、そのような子供の眼から見たものは、永遠の生命が宿っていた」というもの。
謂わば、「子供の感性こそ大人の父」なのだ、
という逆説を語っている詩でもある。

子供の感性というものは非常に豊かだと感じる。
マーク・トウェイン(Mark Twain) の小説『ハックルベリー・フィンの冒険』は、
19世紀のアメリカ南部の社会がイキイキと描かれている。
また、映画『フェリーニのアマルコルド』などもフェリーニの少年時代を彷彿とさせるもの。
20世紀初頭のイタリアの海辺の町リミニでの出来事などを中心に描かれた作品。
この映画作品も「子供の感性こそ大人の父」を強く感じさせるものがある。

振り返ってみると、我が少年時代もさまざまな事件が溢れていた。
その頃、生きていた人たちは、みんな自分達の生活や性格、個性など開けっぴろげ。
そんな人間として日々生きていた。
痴話喧嘩が聞こえたり、うわさ話など。
そんな中で垣間見えるのは、生活苦、夜逃げ、ネグレクト、酒乱など。
時には旅芸人、旅の僧、法華太鼓の一団などが彩を添える。
わが子供時代の視点からすれば、街の中は、さまざまな事件に満ち満ちていた。

ところが、イギリスの研究者タンストール=ピドー博士がコンピュータのアルゴリズムを使って、
歴史上、最も事件のなかった日は、1954年4月11日だと弾き出した。
我が誕生日の1ヶ月ほど前のことになる。
少年時代に目にした様々な出来事は、その頃に近い時代。
「最も何でもない退屈な日」も、
わが少年時代の感性では、ありとあらゆるものが「事件」だった。

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<了>