「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」というのがある。
その地域を訪ねていない人でさえ具(つぶさ)にその状況を思い浮かべることができるような句。
芭蕉の旅日記でもある『奥の細道』によると、この俳句が詠まれたのは越後。
文月六日頃の句とされる。
そして、この俳句に関する詞書(ことばがき)には、
「越後の駅、出雲崎といふ所より佐渡が島へは海上十八里とかや。
初秋の薄霧 立ちもあへず、さすがに浪も高からざれば、ただ手の上の如く見渡さる、、」
とある。
奥の細道を歩み、天空の天の川を見ながら詠んだ。
そんな光景が目に浮かぶ、と言いたいところだが、こんな素直な気持ちは時として破壊される。
大正・昭和と活躍した俳人の荻原 井泉水(おぎわらせいせんすい)氏は、越後の出身。
この時、芭蕉が越後から佐渡を見たのであれば、
「横たわっている天の川は見えない」ハズ、と異を唱えている。
彼も俳人。
夢を壊すつもりはないだろうが、事実は伝えなければという思いから語ったことだろう。
これを確かめた人が居る。
夜の星の動きだから、一晩のうちに横たわって見えるときがあるだろう
と思ったりするが、
天の川との関連で、直立するときはあっても横たわるところはどうしても見えないそうだ。
真実や如何に?と芭蕉の足跡を探ってみると、
一緒に歩んだ曽良の「旅日記」には、雨模様の天気となっている。
そうすると芭蕉さん、眼前の風景を詠んだものではなく心で詠んだ風景ということになる。
事実を描くことが重要か、たとえフィクションでも、
想起されるイメージを描くことが大事なのか?
そんなところにたどり着く。そして、あらためて句を見る。
「佐渡に横たふ 天の川」
わが察するところ、やっぱりイメージの勝利。
*無断転載を禁止します。
*严禁复制粘贴**本"Boots strap"博文禁止复制粘贴。如有发现,本人将采取法律措施。
*2カ所のブログランキングに参加しています。
↓↓下のアイコンにポチッとお願いします。押すとランキングのページに行きます。お手間ですが戻ってきて、もう一つ下のアイコン(にほんブログ村)にもポチッとして頂ければ、、。

エッセイ・随筆ランキング
↓↓ にほんブログ村は、こちら。

にほんブログ村
フレンドリーでリーズナブルな外国語スクール
*外国語リニア
芦屋市大原町12-1 プティビル 201
*ALEX外国語スクール
神戸市中央区旭通5-3-3 5F
<了>