季節は「五月晴れ」から「五月雨」へ | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

夏目漱石の俳句は、ユーモラスなものが多い。
たとえば、「永き日や 欠伸(あくび)うつして別れ行く」。
人の欠伸が人に移るということがある。
この俳句は、日が長くなり、何だか眠くなるような日、つい欠伸をしてしまい、
その欠伸を人にうつして去っていくといったところだろうか。

こんな穏やかな天候も、すぐに梅雨の季節に変わろうとしている。
五月晴れという表現もあるが、それが終われば「五月雨」の季節。
前者は、もちろん「さつきばれ」、後者は「さみだれ」。
この「さ」というのは、稲の「苗」を意味していると言われる。
そう見ると、「さつき」というのは、「さ」すなわち「苗の月」であり、
「さみだれ」というのは苗の「水垂(みだる)」すなわち、
苗を生育させるための「天からの雨」となる。
稲を生育させるには、恵みの雨だが、日常生活を送る分には、
これからひと月の間、このじめじめした季節を過ごさなければならないと思うと、
憂鬱な感じがしてしまう。

夏目漱石の句には、この五月雨を詠んだ
「眼を病んで 灯をともさぬや 五月雨」とある。
これを解釈すると、眼を病んで(包帯か何かで眼を保護しているため)
灯りをつける意味がない。その耳には、五月雨の音だけが響いている、
といったところだろうか。

江戸時代の盲目の国学者・塙 保己一(はなわ ほきいち) は、7歳の頃に失明し、
豪放磊落な生涯を送ったとも言われる。
彼自身が語った言葉に
「さてさて、目あきというものは不自由なものよなぁ」とある。
これは、一つの集まりがあり、塙も含め集まった人たちが帰ろうとするが、
そこで、急に行灯(あんどん)の火が消えてしまい真っ暗になってしまった。
集まった人たちが、何にも見えないと大騒ぎをしているが、
塙は自分の杖をとり、悠々と帰り仕度をする。
右往左往している人に向かって一言彼が言った。
「さてさて、目あきというものは不自由なものよなぁ」。
眼あきの方が不自由なことも多々あるもの。

なまじ眼が見えるために、かえって「五月雨のゆたかな音」が聞こえないモノ。
漱石が五月雨を詠った句で、言いたいことは、
「さてさて、目あきというものは不自由なものよなぁ」
かもしれない...


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<了>