「哲学」と「詭弁」は、となり合わせ | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

今日は、何を思ったのか哲学的な話。

デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」の話。
これは、彼が著した『方法序説』の第四部に出てくる言葉。
「この第四部では、神と人間の霊魂を証明する」とした箇所であり、
デカルトが高らかに、誇らしげに紹介する、ちょっと仰々しいセクションとも言える。

彼が使った言葉、「我思う、ゆえに我あり」は、
これだけを聞けば「何のこっちゃ?」
という感じだが、
たとえば「今、生きて存在している」と言っても、
それはウソかもしれない。
起こっている全てのことは「夢の世界」なのかもしれない、など、
「現実には存在しないのだ」と疑ってかかっても、「考えているということ」。
これだけは否定できない。

これを出発点として、いわゆる「演繹(えんえき)法」での論理展開となる。
人間の感覚から、神と人間の霊魂の存在を追求しようとした試み。
「さて、証明できたのか?」

演繹法と言えば、「三段論法」の方法と言ってもいい。
証明方法として正攻法の論理とされる。
「三段論法」の一つを紹介すると、
「人は、必ず死ぬ」(正しい)。
「ソクラテスは、人間」(正しい)。
だから、「ソクラテスは死ぬ」(正しい)。
この考え方は正しいと言えるが、論理をちょっとすり替えると、
微妙に変わったりもする。

たとえば、
「自分がされて嫌なことは、人にもするな」これは、よく聞く言葉。
一般的に言って正論と言えそうだ。
ところが、
「だったら、自分がされて嫌でなければ、人に何をしても良いって事だね!」

どこにも、詭弁のネタは転がっているようだ。

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<了>