東大を動物園にしろ | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

三島由紀夫は、亡くなる前年の昭和44年1月の文藝春秋誌に
「東大を動物園にしろ」という文を寄稿している。

いわゆる東大紛争で、東大そのものが揺らいでいる時期に、
寄せた文だが、語り口調のような文体で書かれており、
ナマの罵声のような辛辣(しんらつ)な批判を浴びせている。
その文には、
のちに彼自身が行い、失敗に終わったクーデターの挙行を暗示するような記述が見受けられる。

三島氏は東大法学部から、試験で抜群の成績を収めたのに
大蔵省の面接官と合わず、その試験に落とされ農林省に入省したという話が伝わっている。
彼のプライドが、さぞ傷ついたことだろうと思う。
というのは、
日本の官僚としての最高の出世は、何と言っても大蔵次官。
現在では、財務事務次官ということになる。
彼は、その道を断たれたことになる。

大蔵次官の時代から、のちの財務事務次官となるポストについた歴代の人物一覧を
見た憶えがあるが、すべて東大法学部出身者。
ただ一人の例外もなかったと記憶している。
財務関係だから、経済学部出身者が一人ぐらいいても良さそうなものだが、
東大法学部出身者のみ。

これは、制度?
仕組み?
とすれば、
素人目に見れば、誰が何のために、こんなことを決めたんだ~?って気になる。

松本清張氏が、二・二六事件に関連したところから、この問題を解いていた。
それは推理から、とある人物が画策したことを突きとめている。

「選挙で選ばれた政治家が、好き勝手に体制を変えないように、
国家中枢の官僚を東大法閥で固めた」
と説いている。

この真偽を語る立場にないが、
松本氏が語ったように、
どうも、このような体制下で日本の国はできているようだ。

三島氏の挙行は、このような体制に対する、たった一人の反抗だったのだろうか?



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<了>