『褐色の恋人』と、かつてのコーヒフレッシュのCMのキャッチコピーにあったが、
珈琲が「褐色」では、薄すぎるだろうにと思ったりする。
いつも珈琲を飲むカップは、のぼり釜で焼いた取っ手のない素焼きの器。
掌(たなごころ)につつみ、温かさを確かめながら飲んでいる。
いつのまにか、しっくりと手に馴染み、この形で飲んで17年近くなった。
それまでは、白っぽいマイセンの珈琲カップで飲んでいた。
その、とっておきのマイセン。
阪神大震災で毀(こわ)れてしまった。
他の食器とともに並べていた分厚いガラスで出来た(使い捨ての)モ◯◯フ社のプリン容器とぶつかり、
使い捨てプリン容器は無傷で、マイセンの器だけがやられてしまった。
マイセン窯は、もともと東洋からもたらされた白磁に影響を受け、17世紀頃開発したものだという。
初期のマイセンは中国の五彩磁器や有田焼にその影響があったことを認めることができるが、
独自の世界を築き上げていった。
西洋の磁器は、明るい色調の華やかなものが多い。
これに対して、
同じ、16世紀から17世紀に至る時代。
日本は、ちょっと違う焼き物を好む傾向が出来上がった。
もちろん、中国から同じく白磁や青磁、
唐物と呼ばれる染め付けの磁器などが押し寄せて来ていた。
その大きなターニングポイントとなったのが千利休。
彼が眼にし、魅かれたのは井戸茶碗と呼ばれる高麗で日常的に使われている雑器の茶碗。

上手物(じょうてもの)と呼ばれる高級な焼き物ではなく、
「竹の節高台」と称される高い高台をもつ素朴で力強い味わいがある陶器。釉薬は枇杷色。
高台付近は強度の貫入(ひび入り)でひどく爛れ縮れているもの。
焼きムラなどがあり、繊細さより大胆さや素朴さがあらわれている。
このようなものに「美」を感じたのが、まさに千利休だろう。
彼が、そのような民芸的な素朴さに美意識を植え付けたと言うより、
日本人がもともと持っている美意識かもしれない。
俳人の松尾芭蕉の言葉に、
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、
その貫道するものは、一なり」
というのがある。
千利休、自身が作り出した「美」の感覚と言うより、
西行から今日に至るまで底辺に流れている共通の美意識のようだ。
手に馴染む素朴な器を掌に温めている私自身も
そのような「美」の意識を源流に持つ一人かもしれない。
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<了>