自発的に生まれるもの | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

以前、新聞の書評欄で紹介された「災害ユートピア」(レベッカ・ソルニット著・亜紀書房) が、ふと目に止まった。

「不幸のどん底にありながら、人は困っている人に手を差し伸べる。
人々は喜々として自分のやれることに精を出す。
見ず知らずの人間に食事や寝る場所を与える……。
知らぬ間に話し合いのフォーラムができる。
なぜその“楽園”が日常に生かさせることはないのか?」
と、その本は、訴えていた。

1995年の阪神大震災は、よく日本におけるボランティア元年などと言われることがある。
もちろん、ボランティアという言葉も活動実態も、それより遥か前からあった。

元年と言われる理由を挙げれば、このボランティアに本当の意味での自発的な動きであり、
その活動を担ったのが若者だったことだろう。

それまでの間、日本は、我々一人一人の意見や意志が反映されない世界だった。

自発的な活動が、どこかそげ落とされてしまっているような構造が続いていた。
今でも、何でもない日常の日本の姿はそのようになっている。

その状況に対する鬱積にも似た感情からか、日本国中から若者たちが自らの意志で被災地に飛び込み、積極的な救援活動を展開した。

その中の、いわゆる「ひきこもり」といわれた青年などが、多かったともいわれる。
彼らが、自分たちで決め、様々な連携を生み出し活動していった。

被災地と呼ばれる世界に「災害ユートピア」と呼ぶべき世界が構築されていったのを、
目の当たりにした。



これから、我々を待ち受けている未来の世界は、限りなくハードだ。

だけども、私たちがいつも助け合う気持ちを持って人を愛し、未来を信じ、
生きていくことが我々に与えられた試練となるだろう。

ギリシャ神話の語るパンドラの匣(はこ)は、開かれてしまった。

その神話によると、
「パンドラの匣をつつくと、隅(すみ)に、もう一つ入っていた。
 それは、『希望』だった。
だから、人間は、どんなに窮地に追い込まれても『希望』だけは、喪わないで生きていられる」
というのがある。

『希望』を持つこと、未来を信じること、人を愛すること。


このような私たちに与えられた課題のようだ。


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<了>