動かない祇園祭 | 花万朶

花万朶

美味しいもの…ときどき

いつもなら今夜は宵山でした

2年連続で山鉾巡行が中止になった祇園祭


今年は組み立て技術の継承などを目的に34ある保存会のうち前祭で11基の山鉾建てが行われました(後祭で6基)


少しだけ祇園祭気分を…


【鶏鉾】
中国の史話で唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事にちなみ、鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にあるという意味で、鶏鉾の名の象徴となっているといわれています鳥
鶏鉾のタペストリーのモチーフはヨーロッパのギリシア神話で5枚セットだったようです
ベルギーのものでオランダからの徳川家への献上品ではないかと言われており、のちに献上金の見返りとして豪商に渡されたものが長浜の曳山祭、大津祇園祭などに散らばったようです

【綾傘鉾】
綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行

【月鉾】
鉾頭に新月型(みかづき)をつけているのでこの名で呼ばれ、屋根裏の金地彩色草花図は円山応挙、天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は町内の住人岩城九右衛門、破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられ、軒桁貝尽しの錺金具は松村景文の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高クラスですキラキラ



【放下鉾】
鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれ、かつては長刀鉾と同様「生稚児」だったのですが昭和4年以降稚児人形に変わりました


【霰天神山】
錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」「火除天神山」ともいわれ、永正年間京都に大火のあったときに時ならぬ霰が降り、猛火はたちまちに消え、その際一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったというのがこの山の起こりです

【蟷螂山】
蟷螂山は「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいるそうです
元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年117年ぶりに再興
蟷螂山の特徴はかまきりと御所車の車輪が動くなど祇園祭の山鉾としては唯一からくりが施されています

【函谷鉾】
鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで名付けられています



【長刀鉾】
世界にただひとつ「梅樹図絨毯」
チベットでよく似たものが発見されたようですが謎が多く、絨毯の毛をDNA鑑定したら牛とチベットカモシカにヒットしたそうです
出所不明ですがイスラムと中国の融合=モンゴル帝国時代のものと推測されています

また唯一本物のお稚児さんが乗る鉾で長刀は疫病邪悪をはらうもの
鉾頭は三条小鍛冶宗近の作でしたが現在は大永二年三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としています
この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭です

鉾頭いろいろ
左から月鉾、放下鉾、函谷鉾、長刀鉾

山鉾建てについては見学自粛も呼びかけられていました
今年は平日ということもあり観光客は少なく、地元の方々が仕事帰りや学校帰りに見物しているようです(それなりに人出はあり、警察官の誘導などもありましたが)
保存会の方々やそのご家族も楽しげにウロウロされてて、ふと昔の祇園祭ってこんな感じだったのかも…と思いました
私は観光客だらけの四条通は満員電車さながらの混雑で普通に歩くことすらままならない祇園祭しか知らないので新鮮でしたね

今日は夕立(ゲリラ豪雨?)もなく、暑い中も時折心地よい風が吹き、いい宵山になったのに残念です

「動く美術館」と言われ、何世紀にもわたって絢爛豪華、歴史ある美術品を披露している山鉾は今年は動きません

来年は山鉾巡行ができますように…