ふりかえって2 | 友野雅志の『Tomoのブログ』

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日々思うこと、あれこれいろいろ、だらだら、悩むこと、
うれしいこと、悲しいこと、そして考えること。
いろいろ書くことの他、読書、ギター、詩、俳句、料理、絵、写真が趣味です。




ふりかえって考えることに、自分はこうしか生きれなかったということと、もうひとつある。

本当に幸せだったのは、お金のことを知らず、親に養われ、遊んでいた頃だけだったということだ。中学生の頃までだろうか。

高校に行きはじめると友人もでき、友人たちと過ごす時期が増える。しかし、自分というものに悩み、孤独を感じ始めた。

その頃から同性の友人たちより異性関係が大切になってくる。

そして、孤独感は増し続ける。

一緒に生きて、死んでも良いと互いに思いたいが、そうならないのだから、孤独感はこちらの望みに反して増していく。

出会ってからの短い期間、最高の幸せを得たように感じて、これが神が男と女に与えた幸せだとまで思う。しかし、それは誤解である。

別の人間なのだから、感じることも、利害も、求めるものも違う。そして、静かに孤独であることを受けとめることになる。


繰り返しになるが、人が幸せなのは、お金のことを考えず、親のもとに生活している時である。もしかすると、全くお金のことを心配する必要がなく、働く必要がないひとは、子どもの幸せと同じ幸せを感じているのではないかと思う。

子どもの幸せとの違いは、大人になる過程で深く感じるようになった孤独というものだろう。


わたしが孤独を最も感じたのは、イギリスでひとりで生活し書店に勤めていたころだ。

朝食をひとりで食べる、働いている時は仕事場の仲間がいるし、仕事も気晴らしになる。しかし、仕事が終わると、ひとりで夕食を食べ、夜はレコードを聴いて酒を飲み、本を読むしかない。土日祝日には、近くの商店も閉じるので、誰とも話さずに過ごすことになる。昔は、土日祝日、クリスマスから正月とお店は休みだった。

その時、何日もひとりで過ごすのだが、一生このように過ごすのか、と絶望感におおわれる。

そして、それからの逃げ道は異性関係だと思い込んでしまう。

女性とお付き合いしたり、同棲すると、しばらくは幸福感を味合う。しかし、しばらくすると、わたしはひとりであるという孤独感が魂の底にあるのに気づいてしまう。

ただ、歳をとるとともに、その孤独感に少しであるが慣れてくる。

この孤独感は、必ず抱えざるを得ないものだと諦め、納得するのだ。

ひとは生まれてしばらく孤独を知らずに生きれるが、ある時から、ひとは孤独に生きてひとりで死んでいくのだと納得する。納得するしかないのだから。


それでも生きてきたのは幸運だったと思う。生きないよりは生きた方がいい。どんな人生であったとしても、またどんな死に方をするにしても、生きることは幸せだと思っている。