なかなかブログを書けずにいましたが、
● 堀越神社 (四天王寺七宮)
● 茶臼山稲荷社 (堀越神社)
● 熊野第一王子之宮 (堀越神社)
の続きです。
【 ちんたくさん 太上神仙鎮宅七十二霊符尊神 】
私は、堀越神社に鎮宅霊符神がお祀りされているのを知らなかったので、“わぁ~!星辰信仰や! 天之御中主神様~! ”と胸がときめきました。
続けて2枚、撮らせて頂いたのですが、光の違い(?)で違う“気”が感じられます。
ちんたくさん 太上神仙鎮宅七十二霊符尊神
お守りやお札の元祖の神様です。 紀元前、中国前漢の孝文帝の時代に広まり、節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
春の節分祭では、星祭りをして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。
七夕(旧暦)には星祭りを七日七夜行い、七月七日の結願の日に大真西王母須勢理姫命(たいしんせいおうもすせりひめのみこと)をお招きして星霊の力により生命力の復活再生を希う繁昌祭を行います。
鎮宅さんと呼ばれる位ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。 加えて健康、家内の親和、家業の繁栄の為にちんたく修法は、霊符、神符等を使って様々な神事、修法を行います。
神符には実に様々な効験が有り、玄武を神のよりしろに大司命神七十ニ神を始め、いわゆるちんたくさんを招神して暗中神符に入魂して実効の有る符に仕上げ発符します。
当社では古来の鎮宅霊符の伝統にのっとり節分、七夕には大祭を催し各符を発符し、ご希望の崇敬者に授符致しております。
・・・って書かれているのですが、とっても気になる、重要であろう事が書かれていますね!
まず、“星霊の種”を撒きますってあるけど、“星霊の種”ってどんなのだろう?とすごく気になりました。
そして! 驚いたのは、
七月七日の結願の日に大真西王母須勢理姫命(たいしんせいおうもすせりひめのみこと)をお招きして星霊の力により生命力の復活再生を希う
と書かれていた事!
● 須勢理姫命と言えば、素戔嗚尊の娘で、大国主(大穴牟遅命)の正妻であります。
wikiによると・・・
神名の「スセリ」は「進む」の「スス」、「すさぶ」の「スサ」と同根で、積極的な意思をもつ女神の意である。
この女神の持つ激情は、神話において根の国における自分の父の試練を受ける夫の危機を救うことに対して大いに発揮されるが、一方で夫の妻問いの相手である沼河比売に対して激しく嫉妬することによっても発揮される。
この嫉妬の激しさは女神の偉大な権威を証明するものだという説がある。
との事。
また今月は6月で ● 大祓 がありますが本居宣長は大祓詞(おほはらへのことば)に登場する「根国底国に坐す速佐須良比売(はやさすらひめ)」はスセリビメと同神であるとしているのだそうです。
【 大祓詞 】
私は須勢理姫命は瀬織津姫では?と思っていたのですが、● 祓戸大神 (wiki)によると、またまた本居宣長が
瀬織津比売を八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売を伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主を神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)。
『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。
と、ありました。
【 祓詞 】
●こちらの記事を読んですごく納得したのですが、どうなのでしょうか?
離ればなれになってしまった、「月の神 瀬織津姫」と「太陽の神 ニギハヤヒ」が、一年に一度出会える日、それが、七夕。
何となく、そうであって欲しいと思います。
そして、須勢理姫命の名前の前に付けられている、“大真西王母”の意味も詳しく知りたいと思っています。
それと、鎮宅霊符神や七夕というと、どうしても大阪の交野市にある星田妙見宮や、機物(はたもの)神社を思い浮かべます。
以前書いたブログです↓
● ☆☆☆星田妙見宮☆☆☆ ①
● ☆☆☆星田妙見宮☆☆☆ ②
機物(はたもの)神社の事も、このブログを始める前に別ブログで書いた記憶があるのですが、記事が見つからないので、またこちらのブログにて改めて書きたいと思います。
堀越神社の話に戻りますが、この太上神仙鎮宅七十二霊符尊神の祠のすぐ隣に本などにも度々紹介されているパワースポットとして有名な御神木があります。
私も以前雑誌で見て、気になっていたのですが、“パワースポット”という言葉に少し抵抗があって、“パワースポット”やからという理由だけで参拝に行くという時期から抜けだしていたので(笑)この日、堀越神社に来させて頂いて“そういえば!”ってこの御神木の事を思い出しました。
堀越さんのご神木
神霊の宿る樹、降りる樹として、今も多くの人々に大切にされている樹齢五百五十年といわれる楠木です。
数度にわたる落雷と、二度の大火災にも耐え、昭和四十年の谷町筋の拡幅工事と地下鉄谷町線の開通工事に伴い、現在の場所に移転。
その移転時に、天空一転にわかに掻き曇った様子は新聞にも掲載されました。
「気力が落ちた」「疲れた」と感じた時、ご神木の持つ力をいただいてください。
ご神木に接して太上神仙鎮宅七十二霊符尊神が鎮座されています。
と書かれています。
ここに移転される前は、どの辺りに御神木があったのか気になります。
そして、太上神仙鎮宅七十二霊符尊神のすぐ近くに移転されたのも、大きな理由がありそうな気がします。
そして、もう一つ気になったのが、こちら↓
太上神仙鎮宅七十二霊符尊神と御神木の神域の角に二つの菊花紋の瓦が!
これは結界を守るような意味あいがあるのでしょうか?
それとも別の理由があるのでしょうか?
御存知の方がいましたら、是非教えてください。
宜しくお願い致します。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます
堀越神社の記事はまだ続きます
● 堀越神社 (四天王寺七宮)
● 茶臼山稲荷社 (堀越神社)
● 熊野第一王子之宮 (堀越神社)
の続きです。
【 ちんたくさん 太上神仙鎮宅七十二霊符尊神 】
私は、堀越神社に鎮宅霊符神がお祀りされているのを知らなかったので、“わぁ~!星辰信仰や! 天之御中主神様~! ”と胸がときめきました。
続けて2枚、撮らせて頂いたのですが、光の違い(?)で違う“気”が感じられます。
ちんたくさん 太上神仙鎮宅七十二霊符尊神
お守りやお札の元祖の神様です。 紀元前、中国前漢の孝文帝の時代に広まり、節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
春の節分祭では、星祭りをして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。
七夕(旧暦)には星祭りを七日七夜行い、七月七日の結願の日に大真西王母須勢理姫命(たいしんせいおうもすせりひめのみこと)をお招きして星霊の力により生命力の復活再生を希う繁昌祭を行います。
鎮宅さんと呼ばれる位ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。 加えて健康、家内の親和、家業の繁栄の為にちんたく修法は、霊符、神符等を使って様々な神事、修法を行います。
神符には実に様々な効験が有り、玄武を神のよりしろに大司命神七十ニ神を始め、いわゆるちんたくさんを招神して暗中神符に入魂して実効の有る符に仕上げ発符します。
当社では古来の鎮宅霊符の伝統にのっとり節分、七夕には大祭を催し各符を発符し、ご希望の崇敬者に授符致しております。
・・・って書かれているのですが、とっても気になる、重要であろう事が書かれていますね!
まず、“星霊の種”を撒きますってあるけど、“星霊の種”ってどんなのだろう?とすごく気になりました。
そして! 驚いたのは、
七月七日の結願の日に大真西王母須勢理姫命(たいしんせいおうもすせりひめのみこと)をお招きして星霊の力により生命力の復活再生を希う
と書かれていた事!
● 須勢理姫命と言えば、素戔嗚尊の娘で、大国主(大穴牟遅命)の正妻であります。
wikiによると・・・
神名の「スセリ」は「進む」の「スス」、「すさぶ」の「スサ」と同根で、積極的な意思をもつ女神の意である。
この女神の持つ激情は、神話において根の国における自分の父の試練を受ける夫の危機を救うことに対して大いに発揮されるが、一方で夫の妻問いの相手である沼河比売に対して激しく嫉妬することによっても発揮される。
この嫉妬の激しさは女神の偉大な権威を証明するものだという説がある。
との事。
また今月は6月で ● 大祓 がありますが本居宣長は大祓詞(おほはらへのことば)に登場する「根国底国に坐す速佐須良比売(はやさすらひめ)」はスセリビメと同神であるとしているのだそうです。
【 大祓詞 】
私は須勢理姫命は瀬織津姫では?と思っていたのですが、● 祓戸大神 (wiki)によると、またまた本居宣長が
瀬織津比売を八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売を伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主を神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)。
『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。
と、ありました。
【 祓詞 】
●こちらの記事を読んですごく納得したのですが、どうなのでしょうか?
離ればなれになってしまった、「月の神 瀬織津姫」と「太陽の神 ニギハヤヒ」が、一年に一度出会える日、それが、七夕。
何となく、そうであって欲しいと思います。
そして、須勢理姫命の名前の前に付けられている、“大真西王母”の意味も詳しく知りたいと思っています。
それと、鎮宅霊符神や七夕というと、どうしても大阪の交野市にある星田妙見宮や、機物(はたもの)神社を思い浮かべます。
以前書いたブログです↓
● ☆☆☆星田妙見宮☆☆☆ ①
● ☆☆☆星田妙見宮☆☆☆ ②
機物(はたもの)神社の事も、このブログを始める前に別ブログで書いた記憶があるのですが、記事が見つからないので、またこちらのブログにて改めて書きたいと思います。
堀越神社の話に戻りますが、この太上神仙鎮宅七十二霊符尊神の祠のすぐ隣に本などにも度々紹介されているパワースポットとして有名な御神木があります。
私も以前雑誌で見て、気になっていたのですが、“パワースポット”という言葉に少し抵抗があって、“パワースポット”やからという理由だけで参拝に行くという時期から抜けだしていたので(笑)この日、堀越神社に来させて頂いて“そういえば!”ってこの御神木の事を思い出しました。
堀越さんのご神木
神霊の宿る樹、降りる樹として、今も多くの人々に大切にされている樹齢五百五十年といわれる楠木です。
数度にわたる落雷と、二度の大火災にも耐え、昭和四十年の谷町筋の拡幅工事と地下鉄谷町線の開通工事に伴い、現在の場所に移転。
その移転時に、天空一転にわかに掻き曇った様子は新聞にも掲載されました。
「気力が落ちた」「疲れた」と感じた時、ご神木の持つ力をいただいてください。
ご神木に接して太上神仙鎮宅七十二霊符尊神が鎮座されています。
と書かれています。
ここに移転される前は、どの辺りに御神木があったのか気になります。
そして、太上神仙鎮宅七十二霊符尊神のすぐ近くに移転されたのも、大きな理由がありそうな気がします。
そして、もう一つ気になったのが、こちら↓
太上神仙鎮宅七十二霊符尊神と御神木の神域の角に二つの菊花紋の瓦が!
これは結界を守るような意味あいがあるのでしょうか?
それとも別の理由があるのでしょうか?
御存知の方がいましたら、是非教えてください。
宜しくお願い致します。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます
堀越神社の記事はまだ続きます