お忘れ物などございませんように 杞憂列車、一日乗車券(了)
取り乱し切って落ち着いた祖父は事の顛末を話してくれた。謙がここに来ることを知っていたこと。祖母が心配で、謙に来るようお願いしたらどうかと提案したのだという。祖母とは携帯電話で毎日電話していて、謙を病院へ寄越すので、きちんと着いたか確認しておいてと言われたこと。静江と会うことについても了承を取っていたこと。「忘れ物をわざわざ俺に頼んだのは何でだろう」「俺が預かっていても良かったんだけどね。謙が来たかどうかお昼頃に電話したんだ。そこで『謙が元気ないから心配。そっちに寄越すから、一目会って声を掛けてあげて』って言われてね」 いつのまに。自分の話などあっけらかんと聞いていたと思っていたのに、祖母は心底自分を心配してくれていたのだ。「時間的に不味いとは思ったんだけど。まさかそれ以前に、電車で会ってるとはね」「ほんとにね。でも、なんで会おうと思ったの」 謙は胸のつかえを祖父に問い質す。 祖父は険しい表情で考えながら口を開く。「どうしてかな。人生の果てが見えて、今までの全ての選択が正しかったかどうか、自分の歩んだ人生は良きものだったかどうか採点が知りたくなってきたのかもしれない」「わざわざ聞かなくても、俺は自分が納得できてたらそれで良いと思うけど」「これでも教師端くれ、きちんと第三者で採点しないと納得できないんだよ」 空中に人差し指で丸を描き、謙に目配せする。「謙に新しい友達もできたことだし、許してくれよ。ばあちゃん一筋なのは揺るぎないからね」「そう。まあいいよ」 謙にはよく理解できない。ただ、祖父の置かれた危機的状況でしか考えるに至らないことがあるということはわかった。「とにかく、ばあちゃん頼むな。凄く怖がりで寂しがりなんだ。暗くて怖いって、一人じゃ二階の掃除もできないから、いつも俺が階段に座ってね、掃除機の騒音にも負けずに話しかけてたりなんかしてね」掃除に奮闘する謙の傍から離れず小言ばかりだった祖母が脳裏によぎる。「今日もだったよ。まあ掃除してたのは俺だけど」「そりゃそうだ。満身創痍のばあちゃんにそんな過酷なことさせられないよ。そのために呼んだんだ」「俺も昨日から何かと過酷なんだけどね」 祖父は白々しく頷く。「そうだったのか。謙も大人になったな」嬉しそうに謙の頭をくしゃくしゃに荒らす。点滴を振り払おうとしているかのように、謙の眼前でチューブが揺れる。「まあね。大人ですから、辛酸も舐めたりしますよ」「そりゃあ良い。いつか懐かしの味になって帰ってくるよ。今は、苦いまま噛んでおくしかないけどね、そのうちに滋味が溢れるよ」「ふうん」 嵐に巻き込まれた一日は過ぎ去って、穏やかな晴天になろうとしている。闇が溶け込んだこの藍色の空でさえも、今の謙には眩しいほど明るい。 振動を繰り返すスマートフォン。噛み付くべき友人の名前が画面いっぱいに呼んでいた。 出るか、出るまいか。これも杞憂ついでだ。 謙はボタンを押し、わざとらしく溜息をついてやった。「もしもし。お前さー」