先々週から月曜木曜の週2回、ビジネス英会話教室が始まった。会社に英会話の講師が派遣されて行われるもので、なかなかためになる。講師はイギリスはマンチェスター出身の男性で、聞き取りが少し難しい英語を話す。ハリウッド映画やニュースで聞く大統領演説などのおかげで比較的我々の耳に馴染みやすいアメリカの英語とはずいぶんと違った話し振りだ。背がとても高くまじめな先生である。

英語熟達すれば脳使わず 中学からでも日本語並みに Yahoo!News(共同通信)

というニュースにもあるように、やはり究極は「しゃべっていて脳に負担がかからない程度に英語を使いこなせる」というところだ。今日の英会話教室では「製品説明」のロールプレイを行ったのだが、これが終わるころには脳ミソを使いすぎてぐったり疲れてしまった。これではいけない。
なぜ脳を使わにゃならんのか。それは頭に浮かんだ「言いたい事柄」に対して、それに相当する英語の表現方法(文法や単語・熟語など)が備わっていないせいだろう。然るに、それをしゃべる瞬間に脳ミソが「おいおい、これはどうやって言えばいいんだ?確かこれは押入れのこの辺に記憶していたような・・・あったあった。で時制は過去なので・・・これの過去形ってどうだっけか?」などと慌てふためかなくてはならない。こんなことをしゃべる都度繰り返していては、ぐったり疲れるのも無理は無い。
つまり私の考えでは、「流暢に英語を話す=頭に浮かぶ事柄のほとんどを網羅する表現力を暗記する」ということになる。ただこの「暗記」は、歴史の年表や数学の公式を覚えるのとは違って、もっと脳ミソに近いところ、OSI参照モデルの物理層みたいなスッと取り出せるところに刻みつけるという感覚。「話していれば話せるようになる」的な謳い文句で大手英会話スクールが宣伝を行っているが、文法や単語の地道な暗記も避けては通れぬ道だと思う。ビジネスシーンで使える英語ならば尚の事。更なる修行を積まねばと、これを書いていて思いを新たにした。

↓この人、なかなか興味深い英語の上達法を紹介しています。脳にはこだわらないとは言いつつも、私の考えに近い気がする。
http://www.se-c.com/eisaku/
先日、日本の「祭」について知人と意見を交わすことがあった。祭に対する自分の考えを整理することができた良い機会だった。そこでの私の意見をここに残すことにする。

都会よりも地方のほうが祭りへの取組みが熱心なのではないか?との問いに対して。
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確かに祭りは地方のほうが一生懸命だと思う。
岐阜の飛騨でも、祭りの日の自分の役目(例えば獅子舞とか竜笛とか雅楽隊とか)に合わせて、人々は数ヶ月前から夜な夜な公民館に集まって練習している。彼らにとってはこれはもう損得勘定や何かとは全く次元の違うことで、心の中から沸いてくるように自然に取り組んでいる。そして何百年も続いているこれを後世に残そうとしてる。しかも誇りを持って。私は中学卒業以降、地元を離れてしまったのでそういう祭りへの取組みには全く参加したことがないのだけれど、就職してからのある年に地元へ祭りを見に帰省していてふと、そういう彼らの取組みに自分が参加できないでいることが強烈に惜しく思えてきたことがあった。高校大学の頃なんて全く気にも留めなかったのだが。今でもずっと惜しいと思っている。

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古川祭り「越し太鼓」(私の出身地の祭)


飛騨市観光ガイド
先週末は、地元岐阜県で親友の結婚式があり帰省した。行き帰りの荷物もあることだし天気も良いということで、新幹線ではなく車を運転して帰った。東名を片道5時間の道のりである。
久々の長距離ドライブはちょっと疲れた。しかも5時間無言で(と言っても歌はかなり歌う)運転し続けるのは思った以上に心細い、そして眠い。この先車で帰省するときは横に誰かに座ってもらわねばと感じた。
これに比べたら新幹線は本当にあっさり着いてしまう。うとうとしたと思った頃にはもう名古屋に着いている。車で帰省することを思えばのぞみの1万円はやはり安いと見るべきか。
ただ車の窓から見える富士山は本当にきれいだった。写真は岐阜に向かうときに撮ったものだが、帰りの夕日が差す富士山が実はいちばんきれいだった。運転しながら写メ撮るのは法律違反? 9年前の教本にはそんなことは書いてなかった。いやいや危ないのでもうしません。

20050216222602s.jpg←どこだか分かりません。

20050216222616s.jpg←看板曰く小田原。ってどこ?

20050216222627s.jpg←すこぶる快調の12年選手。

岐阜でのスケジュールがどっさりで名古屋は通過するだけだったのが残念。あ~、味噌煮込みうどんが食いたい。
こんな記事があります。

米でまた携帯電話機が爆発 IT media Mobileより

他人事ではありませんな。由々しき問題です。子供に携帯電話を持たせるのを躊躇わせる記事ですね。

でもね、「Motorolaの人が、代替機を用意するけど同じモデルでいいか、と聞いてきた。今はちょっと怖いのでSamsungの電話にした」などとわざわざ書くあたり、どうも胡散臭さを感じてしまう。どこかの誰かの心無い意図を感じてしまうのは私だけだろうか。
私は普段から占いはあまり見ないようにしている。信用していないというより、単に興味が薄い。
今もやっているかどうか知らないが、朝のニュース番組のエンディングでやっていた「今日の占いカウントダウン」で、自分の星座が一位になれば「どれどれ」と思って耳を傾けたりはする。でも会社に向かって玄関を一歩踏み出したあたりでもう今日のラッキーパーソンがどんな人だったかなんて、さらっと揮発していると思う。

しかし何気なく今、下の「Saneki Web 今日の運勢」をやってみて驚いた。
http://www.sankei.co.jp/pr/unsei2/

私は木曜日生まれの異次元人らしいが、驚いたのはそこに出てくる今日の運勢ではなく、「木曜日生まれのあなたは......」に書いてある内容だ。まさに自分のことだと思った。これはそこに書いてある長所の自慢などではなく(「天才肌」は言い過ぎだ。)、短所も含めて自分が自分に感じることや、選んだ職業などとぴったり合っているということ。特に面白いと思うのは、「長所以外」の欄に書いてあることだ。(サンケイさん転載をお許しください)

風変わり。閉鎖世界に満足しつつ普通の世界にも接するので、他人の攻撃を受け易く、受けても放って置きます。思考 能力が発達していて理屈っぽい。情が薄いと誤解されます。お世辞が苦手なために、シャープなのにもかかわらず世渡り下手の面も持っています。

これ読んで自分のことを名指しで言われてるような気になった。特に面白いのは「閉鎖世界に満足しつつ普通の世界にも接するので、他人の攻撃を受け易く、受けても放って置きます」ってとこ。そして、そうだよ、なぜか情が薄いとか、ドライだとかちょくちょく言われる。ここで反論しておくが、自分では決してそんなつもりはない。
これを機に占いへの姿勢を改めるかどうかは分からんが、なかなか面白かった。