来年、自宅建設にカフェオープン。
ここまで辿り着くのに、人生いろいろな事がありました。
普通より、ちょっと貧しい家に生まれた自分。
くすぶっていた20代・・・。
いろんな人に影響を受けてココまで来ました!
そんな僕の、人生最大の転機となった旅の事を紹介したいと思います。
以前、地球探検隊の本の原稿として書いた記事です。
長い文章なので、3回に分けて掲載しようと思います。
いつか、この記事が本になる事を夢見て☆
2006年10月5日。僕はラスベガスにいた。
Little Church of Westという教会で、隣には2年前に入籍した妻。入籍してから、挙げていなかった結婚式という夢を、今まさに叶えようとしていた。
そして、後ろにいる多国籍な参列者達。 アメリカ、イギリス、ドイツ、ニュージーランド。つい2週間前までは名前も知らなかった仲間達に祝福されて、“Yes , I will”と、2人は愛を誓い合ったのだった。
2006年9月。29歳だった僕は、人生に行き詰っていた。1年前に会社を辞め、個人事業を始めたが、まったくうまくいかなかった。貯金はみるみるうちに減り、あと数ヶ月もつかどうかというところまで追い込まれていた。その事が原因で、精神的にも弱ってしまい、映画を観ればすぐに泣くし、だんだんと人も避けるようになり、親友にさえ会う勇気を失ってしまった。遂には引きこもるようになり、日当たり良好南向きの明るい我が家が、僕には暗く映っていた。何度も頭をよぎる「挫折」の2文字が、いよいよ現実味を帯びてきた頃だった。
しかし、挫折する事で犠牲にしたくないものがあった。それは妻の存在だった。自分を信じて上京してきた妻を悲しませる事、それだけは絶対にしたくなかった。
「挫折」と「犠牲」という、究極の選択をしなければならない時が、刻一刻と迫っていた。
結婚して2年。ずっと夢に描きながら実現出来ていないことが2つあった。
1つ目は、夫婦で多国籍ツアー に参加する事。2つ目は、結婚式を挙げる事。この2つを実現させてからだったら、少なくとも「犠牲」からは回避出来るような気がした。「挫折」を選択して、個人事業をキッパリ諦めたとしても、とりあえずは前に進めるような気がした。
「やらないで後悔するくらいなら、やって後悔しよう!」
貯金を全部使い果たして、ゼロからやりなおそう、そう決めた。
決めたらそれからは早かった。地球探検隊からTREK AMERICA のパンフレットを取り寄せた。行った事のない街、もう一度行きたい街がうまく組み合わさったツアーを探して申し込んだ。そして、結婚式は、妻に内緒でプロジェクトをスタートさせたのだった。
僕は、過去に2度、多国籍ツアーに参加経験があった。このツアーの魅力は、普通のパッケージツアーではなかなか行く事が出来ないような場所に行ける事。そして、文字通り“多国籍”な仲間達と出会い、一緒に旅が出来る事。1週間も一緒に旅をすればすっかり気心知れたファミリーになれる。言葉も文化も、目の色も違う人達と感動を分かち合える旅。他では絶対に味わえない、素晴らしい旅だと知っているからこそ、妻とその感動を分かち合いたかった。歳を重ねた時、縁側でお茶を啜りながら旅の思い出を語り合えたらいいな、と初めて参加した10年前の多国籍ツアーの時からずっと思い続けていた。
そして、結婚式は予算の関係上、披露宴など出来るわけがなかった。2人だけで、教会で結婚式をする事さえも、日本では無理な状態。どうにかして実現させたいと、頭を悩ませている時に、ふと、ラスベガスでは安い料金で結婚式が挙げられるとテレビで観た事を思い出した。僕は現地のエージェントを通じて教会を手配する事で、日本の旅行会社から手配するよりも数倍安く結婚式を実現させようと計画した。
この計画は、旅の途中で誕生日を迎える妻への“プレゼント”として計画していたので、その時まで妻には内緒にしなければならなかった。コソコソと、国際電話やメールで、場所、日時、貸衣装の手配などをした。
こうして、何も知らない妻を連れて、ツアーの出発地点であるシカゴへと旅立ったのだった。集合場所のホテルで9人の多国籍なツアーメンバーと合流した。ワゴン車に乗り込み、テント泊しながらの旅がいよいよ始まった。数日を共に過ごし、デンバーを訪れる頃には、すっかりメンバーと打ち解けてバカ騒ぎするようになっていた。この日も、デンバーのパブやクラブをはしごして、遅くまで飲み明かした。