観光が廃れたあとに必要になるものは〜経済としての軍隊 | かんながら

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旅の記録です

「産業としての軍隊」。

 

だから観光っていう「生産しない経済」って怖い。

それでやりくりしようと思うならよほど節制しないと。

 

生産しないでおカネを得るってどういうことか知っている?

 

だっておカネは、なにかと引き換えることができるツールなんだよ?

生み出すものがないのに、おカネが増えたら、交換できるものが枯渇するじゃん?

 

なんで今まで枯渇してこなかったと思う?

みんな本当になくなるまで気づかないだけで枯渇してきているよ。

 

 

石油だって宝石だって地球から奪う。

タダで得たものに価格をつける。

だから減る一方。

 

増える分だけ使う、ならうまく循環の中にいられるんだけどね。

 

あと、労働力の搾取。

わたし最底辺で働いていて思うもん。

 

わたしたちの時給千円の労働が、例えばとても高級なホテルのサービスという名前で一時間何万円になる。

 

何万円を手にするのは、労働者じゃないのよね。

いや、ボスがそのおカネを得るのは妥当なんだけど、ボスもどきが増えたから、労働者が妥当な報酬を得られていない。

 

ボスは仕事を生み出す力がある人。

ボスもどきは、仕事を生み出す力がないのに、ボスのようにふるまうだけで労働できない人。

 

 

みんなそうだよ。

寄付を集める団体も、事務局員を養うおカネがかかりすぎている。

 

直接払われればもっとたくさんの人が助かる。

 

問題によくなる国営放送も、集金ってムダな手間で雇用が生まれている。

国民すべてに負担を強いるなら税金から賄えばいいじゃんね。

 

 

ボスもどきを養ってくれるような従順で安価な労働者も減ってきた。

過労死。

 

だから労働力も近い将来枯渇するだろう。

 

コロナの前からわたしは言っている。

今わたしたちが、おカネとの関わりを見直さなければ、そのうち買えるものがなくなるよ、って。