さんのコメントで、「黒いマリア」を思い出した。
黒いマリアは、スペイン・バルセロナ郊外のモンセラットで初めてみたが、実はそれよりずっと昔、アフリカを旅していたとき、「黒いイエスキリスト像」をみたことがある。
普通に田舎のありふれた教会にあるイエス様は黒かったのである。
当時、名誉白人だったころから住んでいる日本人は毒のある笑いでありえないとバカにしていたが、わたしはよくわかないまま、いつも通りそれをアカシックに格納していた。
放置していたサイトの最後の記事には、2014年の年始に、久高島のことを書いている。
今わたしが、おなじことを別の島で思い、なんでこんなに突き動かされるのか不思議でならないが、すでに8年前に、これは予定されてて、そのためにわたしたちの「日本の神社巡り」はあったのか、と思う次第。
人間の意志は、現実をつくる力がある。
神の啓示や予言にまさるのは、意志の力だ。
「投影の反対」を問われてたけど、こういうこと?
おもしろいな、「投影の反対」のことを書いてる記事に大神島出てるし。
黒いマリア、黒いイエス、
わたしもしろくまさんとケンカしたとき、よく言われたな、黒ユリ!って。
わたしは白ユリのつもりなんだけどね。
白山に咲くのは黒いユリ。