それでも。
トーキョーは、日常が戻ってきている。
外国人観光客がいなくなったのと、人々のほとんどが(他人の心情を思いやって)マスクをしていることと、電車の混雑が休日程度になったことくらい。
デパートも、平日の昼間くらいの混雑具合か。
わたしはそもそも空いている時間にしか出かけたことがなかったから、さほど変わった感じはしない。
お誘いをいただいて、上野で飲んだら、(飲んでた店は空いていたが、外の店は)すごい人であった。
もはやクラスターとか関係ない。
嫌な集まりは、「コロナ」を理由に断っているけれども、会いたい人には会っている。
これで、東京がコロナで破綻しなければ、大丈夫ってことだと思う。
わたしたちは、常識的に、あらゆる感染症に気をつけながら、普通に暮らしている。
東京が大変なことになったら、10人に1人は東京の人なのだから、日本全体の一大事だと思うが、そうなったら地方の人たちで力を合わせて新しい日本を作っていけばいい。
東京は大いなる実験場である。
シメは蕎麦。トーキョーだから。
上京したばかりの時は、まったく食べれなかった、からすぎる蕎麦つゆ。今はたぶん大阪のそれは食べられない気がする。
母は、ずいぶん前、わたしが帰郷して、エスカレーターの左側に立ってしまったときに、「東京の人になってしまいはったんやな」と言ったが、わたしはもうすっかりトーキョーの人である。
このところやたら身近に関西人が増えて、あれだけきれいな標準語だったわたしの言葉は関西弁に戻りつつあるのだが。
飲めば食べれる。
でも、そこまでして食べなくてもな、とも思う。
朝の明治神宮。まだまだ猛暑だが、夜明けは遅くなってきた。
確実に季節は移り変わっている。
この景色を見ると、天気の子の街に住んでいた不思議な数ヶ月のことを思い出す。
買い物をしたいと思い、外食をしたいと思い、仕事しなければと思っていた数ヶ月。
会社員時代はそうだった。
人の欲って、生きるために必要なのだ。
わたしは阪神淡路大震災で自分が壊れてから、サーダカが加速して、物欲も食欲もなくなり、その頃は酒もいらなかった。
ふわふわしてて記憶もない。
その頃アフリカを放浪した。
都合2年ほど。
ジブラルタルを渡ってアフリカをキャンプや民泊しながら1年ほどをかけて南下して、終着地はケープタウンだった。
オランダ人が作った街。
ワイン飲んでお寿司食べて、人間らしい暮らしをしているうちに、現実の世界に帰ってきた。
そして、帰国して10年、会社員をして、いわゆる普通の暮らしをした。
私たちの仲間うちではこういう状態をスリップと呼ぶ。
大いなる力に任せるのではなくて、自力でなんとかしようというそれ。
自我の範囲でできることなど限られているというのに。やっぱりもう頑張りたくない。
神のみわざの中に、わたしはいたい。
伊勢平氏おじさんは、そういえば、表参道なんかに住まずに普通のとこに住めって言ったんだった。
本人は気づいていないかもしれないが、わたしにはその意味が今ならわかる。
表参道は神様の土地。
天気の子の街は真逆で、人の住む土地だった。
人の欲がうごめく街。
自分自身も久しぶりに人間らしい感情を体験したりキツい時期だった。
これ以上のスキルの人はいないという人たちがサポーターをしてくれたから乗り切れた。
お酒は飲まないように、って纏向の仙人には言われるけど、飲まないとざらっとした現実世界になじめない。
肉を食べるとか、ほしいものをつくるとか、好きな人をつくるとか、しないといけないんだろうな。
そうしないと、身体がカラになる。
それを纏向の仙人のサポートを借りながら漢方治療しながらつないでる。
少々浮世離れしてきている今日この頃。
今日は、纏向の仙人とそのお仲間に会いにいく。
舞台は、飛鳥。