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あべしんのブログ

京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

皆さま、こんにちは。
すみません。やっぱり、こんばんは・・(かも)。

今日も、快晴🌞。
昼間は、程よい暖かさとなり、絶好の花見日よりになりました。
再び、満開の琵琶湖疏水(大津側)の桜🌸です。

今日は、お休みで“暇”だったので、何故かやはり、大津市に行ってしまいました。
ランチは、びわ湖の畔がいいと思いましたので・・。

さて、まず訪れたのが──。
大津市馬場、旧東海道沿い、駅で言うと膳所駅の北およそ300mにある義仲寺(ぎちゅうじ)です。

義仲寺は、‘あの’木曽義仲さんが葬られた塚のあとが、後の世に(いつの間にか)寺になった所です。
その辺の詳しい話は、「伝説」ですので、ここでは省かせていただきます。

平安時代時代の末──。
治承4年(1180)から寿永3年(1184)にかけてのこと。

木曽義仲(きそよしなか)さん。
当時の天皇家と貴族(藤原氏)たちの意向を受け、平氏討伐の兵を挙げはるばる京の都にやって来ることになりました。そして、見事に北陸路で平氏に大軍を討ち破り、京の都に入ったまではよかったのですが──。
残念ながら、天皇家と貴族(藤原氏)たちに気に入られなかったのです。

源頼朝の命を受けて都に上ってきた源範頼・義経の軍勢と‘この’近く(粟津)で戦い、利なく敗れ、壮烈な最期を遂げました。

そして葬られたのが、‘ここ’なんです。

昨日も書きましたが、わが国のエスタブリッシュメントの方々(天皇家と貴族(藤原氏)たち)・・。
奈良時代の鑑真さんと言い、そして、平安時代のこの木曽義仲さんも・・。
利用するだけ利用して、あとは“ポイッ”ですから、たまったもんじゃないですよね!!

明治時代以後の歴史観で、木曽義仲さんは、どうしても「悪役」にされてしまいがちですが──。
『平家物語』の世界では、悲劇のヒーローであることは間違いないです!

おそらく──。
江戸時代中頃までは、木曽義仲さんを葬ったと言われる小さな塚しかなかったてしょう。でも、この辺りの景観をこよなく愛した松尾芭蕉さんが度々訪れていました。そして、芭蕉さんが、大坂で亡くなった時、生前の遺言で、ここに墓が立てられたのだそうです。
芭蕉さんの「亡骸は木曽塚に葬るべし」との遺言。やっぱり、木曽義仲さんは、悲劇のヒーローですよね。

「俳句の聖地」である境内には、本堂の朝日堂や、芭蕉が訪れたことに由来する無名庵などがありますが、芭蕉翁座像を安直する翁堂が、特に趣があります。
次回に詳しく(!?)書きますが、この天井は、伊藤若冲が描いた『四季花卉図』15面で飾られています。

木曽塚と言われる木曽義仲公墓が中心です。
決して、「悪役」じゃないよ・・。

その隣りの小さな塚は、巴塚。
木曽義仲さんのパートナー(側室)であった巴御前さんの塚です。
『平家物語』の世界では、悲劇のヒロインですよね!

いろいろ御朱印をいただけるみたいですが──。
ここは、巴御前さんに因んで「巴御前」をいただきました。

そして、松尾芭蕉さんの墓。
弟子たちが、大坂から亡骸を運んで葬ったそうです。

境内には、20ほどの句碑が建ち並びます。
全部を取り上げる訳にはいかない(いけない)ので──。
行春を あふミの人と おしみける

それから──。
古池や 蛙飛こむ 水の音

も一つ・・。
誰もが知ってる(!?)ものばかりを・・。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

住宅地の中の、本当に小さな観音さまをお祀りするお寺ですが、美しい「国指定史跡」です。
さてさて、ここ(義仲寺)に伝わります文化財について、、、次回に続きます。