すみません、皆さま。
昨日の「余談」で、もう少し“空想してしまったこと”がありますので、ちょっとだけお付き合いください。
島原の角屋もてなしの文化美術館に関して──。
角屋の建物が、昭和20年(1945)、「建物強制疎開」の対象として取り壊されることになっていたにも関わらず、勤王の志士(西郷さんのたらい)のおかげで、それを免れた話を書かせていただきました。
それで、今現在、「揚屋建築の唯一の遺構」として、国の重要文化財の指定を受けてるのですが・・。
さて──。
京都市内の米軍による爆撃、いわゆる「空襲」は、昭和20年(1945)6月26日の「西陣空襲」を最後に、一旦ストップしています。
★「西陣空襲」では、7発の爆弾投下により、死者50名、負傷者66名、被害家屋292戸、被災者850名と言う大きな被害がもたらされた訳ですが・・。
京都が、新潟、広島、小倉と並んで「原子爆弾投下の候補地」になったため、米軍が《その効果を測定するため》に、爆撃を止めたからです。
その「原爆投下の目標」が、3方向(大阪&京都駅&山陰線)からの線路が集まっている地点、今の京都鉄道博物館のある場所です。
上空からは、分かりやすい場所ですね!
これっ、角屋とは「まさに目と鼻の先」、近所です。
“タラレバ”で言うことではないかも知れませんが──。
もし、あの戦争が長引いて──。
新潟や京都にも、原子爆弾が落とされていたら──。
角屋が、‘裏技’で「建物強制疎開」による取り壊しを免れていたとしても、もはや跡形もなかったんです、、、原爆で・・。
それどころか、京都市内の景色は、今のものとは全く違うものになっていたハズですね!
いやいや、もしそうなっていたら、私の存在すら有り得ませんけど!!
戦争も核兵器もアカンよ!
話は変わりますが──。
昨日、奈良市に所用があって、少し立ち寄りました。
その後──。
雨も降らず、晴れたり曇ったりで、ちょうど“いい塩梅”でお散歩日和だったので、奈良公園をぐるりと一周しました。
「こんな所に来るなんて、変わったオッサンやなあ!!??」と思っています。
たぶん・・。
さて、その「奈良公園の南端、鷺池、浮見堂」の南側に──。
昨年から、奈良県によって、瑜伽山園地(ゆうがやまえんち)が、整備され、庭園が公開されるようになりました。
隣接するレストラン·ふふ奈良「滴翠」で、ゆっくりランチでもしながら、庭園を眺める方がいいと思いました。
私は、お腹いっぱいになってから、散策を始めましたが、皆さまは計画を立ててから、浮見堂の辺りに立ち寄ってください。
コロナ禍が終わったら・・。






