皆さま、こんにちは。
やっぱり、ひょっとして、、こんばんは。
今日は、6月30日。1年の半分が終わりました。
そして、幾つかの神社では、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の神事が行われた日でした。
そこで、茅の輪くぐりに行って参りました。
世間では、緊急事態宣言が解除され、まん延防止等重点措置も‘あってないようなもの’で、すっかりオリパラに向けて‘ゆるゆる’モードです。
でも、やっぱり、私は感染が恐いので、大きな&有名な神社は避けて、小さな&地元のローカルな“某”神社をお参りしました。
しかも、早朝に・・。
★この“某神社”〈=山王神社〉、地名(山の内)や社名から「比叡山の飛び地(荘園)」であったことが分かります。また、現在の中京区の西方や右京区は、地名や祭事から、各社寺の領地(荘園)や神人の棲み分けがはっきりしています。でも、それについて述べると、多分、本(小冊子)一冊分、3~4時間分ほどの講義内容になってしまいます。だから、今日、ここでは無理です。機会があれば、またあらためて・・。
一年の前半の最終日、半年間の汚れ(穢れ)を清めるため、茅で作られた輪をくぐり無病息災を祈願する神事です。
茅の輪をくぐるのは──。
武塔神(ぶとうしん)が、南の海の女神に求婚をしに行った時、宿を願いました。裕福な弟·巨旦将来(こたんしょうらい)は断りましたが、貧乏な兄·蘇民将来(そみんしょうらい)は応じて手厚くもてなしました。
後に、武塔神が兄(蘇民将来)宅を訪れ、家族に茅の輪を腰に着けさせました。そして、「私は速須佐雄(はやすさのお)の神である、後の世に疫病が流行った時、蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫と言って、茅の輪を着ければ、免れることができる」と──。
そのお話に関連あるかと・・。
武塔神〈速須佐雄(はやすさのお)の神〉は、中世以降、牛頭天王(ごずてんのう)と習合されますが・・。
祇園祭の粽のお札、「蘇民将来之子孫也」の、あのお話ですね!
奈良時代の『備後国風土記』に載っているお話ですから、相当古い!
また、長岡京跡から「蘇民将来之子孫者」と墨書された木簡が発掘されていますから、この“呪文”に対する信仰は千年以上続いているんですね!
これは、効果あるかも・・です。
ただ、『備後国風土記』にあるとは言え──。
わが国の神事や歳時は、中国に起源があると思っています。
七草粥も、雛祭りも、端午の節句も、七夕も・・。そして、この「夏越の祓(なごしのはらえ)」も!!
中国南方の荊楚地方の年中行事を記した書物=『荊楚歳時記』が、奈良時代にはわが国に伝わったとされていますから!
また、遣唐使がたくさん唐に渡り、現地で唐の年中行事を体験していますから!
でも、ごめんなさい。
『荊楚歳時記』の話をしだすと、やはり大変長いお話になってしまいます。
ご縁があれば、また何処かで私の話を聞いてやってください。
自粛期間中、家での読書。
次は、これを買って読みました。
『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎╱中公文庫)
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦。
先の戦争で、この「六つの作戦」において、わが日本軍は失敗を重ねた訳ですが──。
それが、「日本軍の組織のあり方に起因するのではないか」と研究、論じられた書物です。
面白かった‼️‼️
最近、わが政府や他の組織の政策──。
古い原発の再稼働、新型コロナウイルスに関する対策、オリパラの強行に関して、それをインパール作戦に例える方々がおられます。
その是非については置いといたとしても──。
やっぱり、わが国の組織のあり方──情報の収集、組織間の連絡、意思決定──、“あかんやん”と思えることは、多々ありますよねえ・・。
文中の一節、「やってみなければわからない、やれば何とかなる、という楽天主義に支えられていた日本軍」、何か、何にでも言えそうで・・。
私は、個人的には──。
時代を遡り──。
何故、豊臣秀吉は、2度も朝鮮半島に大軍を送り、無謀な戦争を続けようとしたのか?
何故、執権·北条時宗を中心とする鎌倉武家政権も、朝廷も、元からの国書に返書を出さず、元軍の侵攻を受けることになったのか?
白村江において、倭国・百済連合軍は、「我等先を争はば、敵自づから退くべし」と有り得ないほど杜撰な作戦で、大敗を喫することになったのか?
「結局、ピンチを招くことになる行動パターン」には、共通する組織のあり方が昔から続いていたかも!
──と言えそうで・・。
この島国に住まう人のDNA?
あ~あ!?


