絵巻物の傑作・一遍聖絵公開 ~京都国立博物館~ | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。


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京都国立博物館では、特別展『時宗二祖上人七百年御遠忌記念 国宝 一遍聖絵と時宗の名宝』が開催されています。

今日は、元々、‘別の’博物館に行く予定でおりました。そのつもりで、出発時刻とか利用する交通機関などを考えていたのです。
しかし、急に午前中に予定が入ってしまい・・。
午後から・・。
時間のかからない“京都国立博物館パターン”に変更いたしました。
二祖上人とは──。
皆さま、教科書等でお勉強されてこられた通り、時宗の開祖は、一遍上人ですよね!
遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)とも尊称されます。

“一切の財産を捨て”て、布教に努め、貴賤を問わず広く民衆に念仏の教えを広めた一遍の功績ははかり知れません。
しかし、他の宗派でも同じかも知れませんが、時宗を“実質的に”開いたのは、一遍(1239―86)の教えを受け継いだ二祖上人(真教(1237―1319))なのです。

『一遍聖絵(国宝)』は、《絵巻の最高峰》とも評価されます。
布教に努めた一遍の活動を忠実に記録したこと、全国各地の景観や寺社の様子を細かく描いたことが、素晴らしいのです。
人物の的確な描写が優れていると言われますが、貴賤を問わず、貴族も武士も僧も、男も女も子どもも、様々な階層の人々が描かれているのは凄いことだと思います。
他の「高僧絵伝」、例えば『東征絵伝』とか『法然上人絵伝』は、高僧(鑑真和上法然上人)がお亡くなりになられてから、かなりの年月が経った後に描かれました。
しかし、『一遍聖絵』は、その没後10年で、弟子(一説に異母兄弟とも)の聖戒が、一遍が遊行した跡を再確認し、記録を基にして実際に一遍に同行した時衆の僧たちと共に再踏破した後に書かれた物なのです。
ですから、実際に目にした光景を描いていますので、「ニュース速報のような」と言う臨場感が凄いんです。ですから、登場人物の数も多いですし、その表情もいきいきとしています。

また、その制作過程から「資料的価値が高い」とも言われています。
富士山の描写が話題で、こうしてパネルになっていますが──。

私は──。
石清水八幡とか四天王寺とか厳島神社とか、建物は鎌倉時代のもので現在のものとは違うハズですが、パッとその伽藍の描写を見ただけで──。
「あっ、行ったことある!」とハッキリ分かる建物の特徴や配置の描き方は、見ていてとても楽しかったです。
それから、平安時代以降、鎌倉時代から室町時代前半にかけて、烏帽子が庶民にも普及しました。そして成人男性にとっては、頭に被り物がないのを恥とする習慣が生まれたそうです。
そして、『聖絵』の中には、僧や女性や子ども(童子)でないのに被り物のない頭の男性も見られるのです。
そのことから、『聖絵』には、“様々な職業の庶民”が描かれていることが想像されます。米をつくる農民の他に、川や海で水産物を捕る人、鍛冶、商人、運送業に携わる人・・或いは芸農民や遊女。中世の歴史を研究されている方の中には、ここ(『聖絵』)には、非差別民が描かれていると仰る研究者もおられます。
つまり、仏教が国家や天皇家や貴族や支配僧となっていた武士のためではなく、そう言った“あらゆる階層の庶民をも救うためにある”。そんな教えを、一遍真教が説いて各地をまわったことが分かるのです。 
「民衆救済の教え」を説いた「民衆に受け入れられた仏教」だから、時宗が現在まで続いたとも言えますね。
※江戸時代の置かれた非差別民とはちょっと違います。 

また、『自空上人書状(遊行歴代他阿弥陀仏書類のうち)』(京都長楽寺所蔵、重要文化財)では、「戦に向かう武士に相伴する時衆の僧への心得」が書かれていました。
源平の争い、源頼朝による東北征伐、承久の乱、元寇、南北朝の動乱、足利将軍家内の争い・・。今の世の中では考えられないですが、“命のやり取り”に赴いた武士の何と多かったことか!
そう言う人々の心の安寧のための仏教でもあった訳ですね。

さて、「民衆に受け入れられた仏教」と言いましたが、踊り念仏とは、そのための大きな手段だったわけですね。
現代のミュージックシーンでも、DANCE DANCE DANCE !!!全盛ですよね。
時衆は、鎌倉時代のEXILなのか、三代目J Soul Brothersなのか、またはGENERATIONS、それともE-Girils、ひょっとしたらももクロ(!!??)。
見方を変えれば、そんな感じで、民衆の中に入り込んでいった、念仏とは、そんな“MUSIC & DANCE ”的なコンテンツだったのかも・・。
※あくまでも私の想像です。

もう一つ、「民衆に受け入れられた仏教」の手段に、賦算と言うのもありました。念仏札を配って、布教につとめたのです。たいへん分かりやすいです。
『聖絵』には、賦算のシーンもいくつか描かれています。個性的な一遍さんの様子とともに・・。
一遍さん、「布教」においては、“天才”だったのかも知れません。

最後に一つ──。
昨年、東京に千本釈迦堂(大報恩寺)の仏像が出張されていました。その中に、ご本尊の行快釈迦如来像がありました。
行快は、快慶の一番弟子で、その作風をよく受け継いでいると言われます。ただし、確実に「行快作」とされる仏像は少ないのです(たぶん6~7点)。
それで、京都では、同じく昨年、話題になっていたのですが──。
左京区の聞名寺阿弥陀如来立像を調査していたところ、足の枘(ほぞ)に「巧匠/法眼行快」の墨書が見つかりました。新&大発見です。
今回、通期で、その阿弥陀如来立像が展示されています。

国宝の《絵巻の最高峰》『一遍上人聖絵』と美しい仏像、これは見ておくべき展覧会ですね!
なお、前期(4/13-5/12)と後期(5/14-6/9)の“とおし”で来ると、『一遍上人聖絵』全巻を見ることができます。マニアの方は、どうぞ!

マニアと言えば──。
神奈川県藤沢市にあります時宗総本山の清浄光寺(通称:遊行寺)に伝わります「六字名号」は、一遍上人真筆と伝わるそうです。
さて、どうでしょう!
信じる、信じないはあなた次第。
それが「浄土教」です。

とにかくに 心はまよふ ものなれば
 南無阿弥陀仏ぞ 西へゆくみち
            (一遍)