初走り & 初詣 山の辺の道 ~大神神社から~ その2 | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

初詣は、神体山であります三輪山を拝みます、大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りさせていただきました。

その三輪山にご鎮座されます大物主神(おおものぬしのかみ)をお祀りするのが、大神神社です。生活全般のご利益で知られています。


車で行かれる場合は、国道169号線を南へ、「三輪明神参道口」辺りで最寄りの駐車場をお探しください。でも《初詣期間だけは》、電車でお参りすることをお薦めします。この付近、国道169号線は結構渋滞していますから……。

そして、今回の"山の辺の道RUN"なのですが、通常(いつものパターン)なら、JR・近鉄の桜井駅が起点になるのです。しかし、今回は大神神社箸墓古墳付近でウロウロしますので、時間短縮のため、JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅からスタートしています。
さらに普通にお参りするなら、そのまま三輪駅から東へ、三輪明神参道を行きますが、ちょっとだけ西へ(逆方向に)寄り道してみます。

国道169号線は、飛鳥時代の古道、「上ツ道」にほぼ当たると言われています。この道沿いに、大神神社〈通称は三輪明神〉の参道入口があります。

(↑午前中なもので、逆光でスミマセン。)

ここに立っています大鳥居は、高さ約32.2mと言う大きなものです。昭和59年(1984)の昭和天皇のご参拝を記念して、昭和61年に建てられました。柱間も23mあり、車道をまたぐ鳥居としては、最大のものと言われています。材質は、耐候性鋼板で、耐久年数1,300年と言われます。その最後を確かめられないのが、残念です。

そして、参道の向こうに眺めることができますのが、三輪山です。標高は467m、三諸山とも呼ばれます、円錐形のお山です。


前回に書かせていただきました通り、大神神社には、本殿がありません。三輪山そのものが"ご神体"なのです。拝殿から《神体山》を拝むと言う形態は、自然崇拝にもとづきます、わが国古来の信仰の姿を伝えます。


『日本書紀』によりますと、疫病が流行ったとき、崇神天皇が、ご神託により、大田田根子を神主にして大物主神を祀り、国に平穏が戻ったことが始まりとされています。
崇神天皇は《ハツクニシラススメラミコト(御肇国天皇)》との別称あります。古代ヤマト政権を確立した大王とする見方が強いです。近いうちに紹介させていただきますが、山の辺の道沿いにあります行燈山古墳〈宮内庁治定「山邊道勾岡上陵」=崇神天皇陵〉は、4世紀はじめ頃の築造と推定されています。


三輪明神参道に入る前に、また、少し寄り道をします。
大鳥居の南側に、綱越神社(つなごしじんじゃ)が建っています。

祓戸の神を祀り、古来、"夏越し"の祓え(なごしのはらえ)が例祭として行われてきました。社名の"綱越"は「夏越し」が訛ったものとされています。例祭「御祓祭(おんぱらまつり)」〈7月30-31日〉の名から、通称「おんぱらさん」として親しまれています。


さて、三輪明神参道を進むと、二の鳥居に到着です。ここからは、いよいよ大神神社の境内です。

鳥居の前は、スゴい人でした。さすがは《初詣》です。実は、露店の右側は一般の道路で、こちらも同じくらい人の流れができていましたので、参道を行き交う人の流れは、この写真の倍はあります。

それでは、二の鳥居から――。

およそ200mゆっくり歩きます。

途中、左手に長い列ができていました。

よく見ると、鳥居が見えます。

祓戸神社(はらえどじんじゃ)です。

心身を祓い清めてくださる祓戸の四神〈瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売〉がお祀りされています。
三輪明神さまに参拝する時は、先ずここにお参りをしなければならないそうです。だから、列ができていたのですね。汚れて、穢れております私も、先ず……。

それから、その隣りの列は、夫婦岩(めおといわ)にお参りされる方々のものでした。

神の鎮まる磐座の一つです。三輪の神さまと人間の女性の恋物語を伝える2つの岩が、夫婦のように寄り添います。「縁結び」・「夫婦円満」のご利益があるそうです。私には無縁なのですが、このレポートのために並んでみました。

※なお、祓戸神社夫婦石の裏の山の斜面は、ささゆり園になっています。今は、入れません。2,000本余りが群生しています。5月下旬から6月上旬の花期に開園されます。
大神神社ささゆりと言えば、確か去年の6月にお話したことがありますね……。大神神社の摂社・率川神社でしたね。


そして、やっと――。
手水舎を過ぎ、いよいよ拝殿の前に至る階段が見えてきます。
しかしその前に、参道右手を見ます。

昭和天皇御製「旅」の歌碑です。

遠つおやの  しろしめたる  大和路の
   歴史をしのび  けふも旅ゆく

昭和天皇は、昭和59年、「わかくさ国体」に際し、10月に大神神社に行幸され、ご参拝されました。
翌年1月10日の「歌会始」の儀に当たり、その折のお気持ちをお詠みになられたものだそうです。

さらに、その隣りには――。
株だけか保存されています杉の木が……。
衣掛杉(ころもがけのすぎ)と言います。

玄賓(げんぴん)僧都が、三輪の神さまの化身の里女に与えた衣が掛かっていたと謡曲『三輪』でうたわれた伝説の杉の木だそうです。さっき、ちょっと言いかけていました、三輪の神さまと人間の女性の恋物語です。

謡曲史跡保存会の解説坂より――。
【大神神社と謡曲『三輪』】
大神神社は古来より、本殿は設けず拝殿の奥にあります三ツ鳥居を通し、神の鎮まります三輪山を拝するわが国最古の神社と言われています。
遠い神代の昔、大国主神が自らの和魂(にぎみたま)をこのお山にお鎮めになり、大物主神の御名を以てお祀りされ、国造りの神さま、人間生活の守護神としてひろく信仰されています。
『古事記』等に書かれています三輪にまつわる神婚説話を典拠にしました謡曲『三輪』は、本来男神であります三輪の神を女神として脚色し、神話を語ったり、天の岩戸の神遊びをみせるのが曲趣になっています。
春の大神祭の翌日(毎年4月10日)吉例の後宴能が執り行われ、各流交替でこの『三輪』が奉納されます。

さらにその隣りには、釈迢空折口信夫〉の歌碑が建っています。

やすらなる  息をつきたり  大倭
   山青垣に  風わたる見ゆ


まだ、拝殿にたどり着けていませんね。2時間かかったハズです。
次に続きます。