歌碑・文学碑巡り 近江高島 その7 ~音羽の地区の万葉歌碑2つ~ | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

近江高島の城下町、と言いますか"陣屋を中心につくられた町"を歩いていました。

この総門の前の道を西へ、つまり山手の方へ進みます。前回、ちょっと書きましたように、JR湖西線の線路をくぐります。

前方に、丘陵が広がります。
小田川、和田打川、鴨川など、湖西の山からびわ湖に向かって流れる川によってできた扇状地です。
正面にあるのが、高島小学校、そして高島中学校です。
そのすぐ西方、坂の上には、日吉神社近藤重蔵の墓などがある話は、前々回に書きました。申し訳ありませんが、この後、目的地があって、時間の関係で、その辺は散策しません。近藤重蔵のことは、その目的地でお勉強した方が、よくわかります。

さて、その高島中学校の左手に見ながら、北西方向に、その丘陵を上って行きます。

見えてきました、「古西近江路」の道しるべが!――しばらくびわ湖側を歩いていて、忘れていましたが、「古西近江路」は、JRの線路より山側を通っていました。

この辺りを、「音羽」と言うそうです。

そして、この辺りに、「音羽古墳群」と呼ばれる古墳群があるそうです。6世紀後半から7世紀初頭にかけての村落形群集墳で、全体として約50基から成っているそうです。この古墳群の被葬については定かではありませんが、今からおよそ1400年前この地に勢力を持っていた一族の家族墓であろうと推定されています。

音羽古墳群は、目的地ではありません。
道しるべの上(坂の上=西)の高台に、万葉歌碑が建てられています!

何処(いづく)にか  われは宿らむ
   高島の  勝野の原に  この日暮れなば
                 (高市黒人  巻3-275)

何処で私は宿ろうか。高島の勝野の原が暮れてしまったら。
高市黒人については、詳しいことはわかりません。持統朝から文武朝頃の官人のようです。すべての歌が旅先での作のようです。天皇の行幸に従って、歌を詠んだか、あるいは地方に赴任した役人であったか……。

この歌碑のある高台からは、眼下の高島の町並み、びわ湖、そしてびわ湖の対岸が見渡せます。

この日は、曇り空で、あいにく"絶景"とは行きませんでした。

もう一度、坂を下りて左へ、つまり北へ進みます。JR湖西線の線路が右手に並行している道です。500mほどで、最後の万葉歌碑のある場所に着きます。

旅なれば  夜中を指して
   照る月の  高島山に  隠(かく)らく惜しも
                                    (巻9-1691)      

私は今旅にいるので、夜中の方をさして照っている月が高島の山に隠れるのが惜しいことだ。

右側の花崗岩の石碑に、この歌の解説文が書かれています。これまでの、この高島の地の歴史に関するまとめにもなりますので、写してみます(微妙に句読点や語尾が変わっているかも……)。

この辺りは、古くから北陸道(西近江路)が通り、水陸交通の要衝として栄えたところです。
月明かりを頼りに、旅人が山の端に隠れる月を惜しんで詠んだ歌です。高島山、嶽山(標高563m)を主峰として、三尾崎(明神崎)で湖に入る連山を指します。
「夜中」は、万葉仮名では「三更」と表記し、時刻節と地名説がありますが、歌意から推測して、地名と見た方が、実景がはっきりします。
高島山の東に広がる一帯は、古代「三尾郷」と称し、「三尾の勝野」、「三尾山」、「三尾川」、「三尾崎」などの地名が多いです。「三更」は「三尾」の誤りではないかと思われます。
ここから約200m南に若狭への分岐点があり、そこには「三尾駅」が設けられ、7頭のが馬が用意された駅家があったと推定されます。湖辺に出ると、船旅の停泊に利用された「勝野津」があり、往時の面影を今にとどめています。


この万葉歌碑の前から、北へまっすぐ約1.5㎞ほど進みます。歩いて20分、走って10分、車ならすぐです。突き当たりの集落(一帯)を、「鴨」と言うそうです。
その突き当たりを右に(びわ湖側に)行きます。

※今回は、立ち寄りませんが、突き当たりを左手に、さらに約1.5㎞ほど行くと、松尾芭蕉の句碑――先たのむ 椎の木も有 夏こだち――のある妙楽寺に至ります。

話を戻します。
突き当たりを右に、そして次の十字路を左に曲がると、高島歴史民俗資料館が見えてきます。ここが、今回の散策〈=旅orマラニックorサイクリング〉の目的地です。

「鴨水の里」の碑は、昭和56年当時の滋賀県知事・武村正義氏の筆によるものです。

何度も書いて、クドイようですが――。
古来より、近江高島は、都や日本海側の地域とも交流が盛んな地域でした。


色々な遺跡出土品の展示を通して、高島の歴史と文化が紹介されています。
また、「大溝の水辺景観」を紹介する展示もあります。


また、周辺(高島)の遺跡の散策マップをはじめ、色々な資料をいただけます。
★残念なのか(!?)、幸いなのか(!?)、わかりませんが、無料なのも魅力です。


写真がなくて、恐縮ですが――。
2階に、近藤重蔵のことを紹介する展示もあります。

さて、高島歴史民俗資料館のことは、次回に続きます。