引っ越しに関するガイダンスを受け取ったときは
売りに出して
物を捨てて
家を片付けて・・・・・と
順当にコトを運んでいけば
すんなりと引っ越しできると思っていました。
多少の商談はあっても。
だってガイダンスを受け取ったんだから・・・・!
でもね
そのガイダンスは
引っ越しに関わるあらゆる事柄の中で
自分と向き合う・・・というコトが
がっつり含まれていたのです。
ヤレヤレ・・・・
向き合うことが出てくるのは
当たり前と言えば当たり前なんだけど、
でも、これまで十分やってきたから
引っ越しに漕ぎ着けたんだ・・・・という気持ちが大きかった。
ずっと前に、母の物は片付けたので
母に関することはもう出てこないと思っていたんだけど
なんの、なんの~~~
自分の物を片付けていて
そこから母のエネルギーが外れていく・・・・
恐るべし!母親!
洋服~
着物~
お稽古事の道具~
手芸の道具~
母は私を通して楽しく生きたかった。
何のことはない
振り返ってみれば
母の気に入るコトを選択して
ひいては
一緒にやる?と誘わざるを得なくて・・・
母の「退屈だな~」の一言は
私への強制力を十分持っていたのです。
持ち物だけではなくて
今回解ったことは
相手の立場になりすぎてしまうこと。
交渉において
自分としてはどうしたいのか、
ここがなし崩しになってしまって
相手の立場になって
こうしてあげた方がいいかな・・・などと考えてしまう。
自分の根っこが抜けてしまうのです。
お互いの歩み寄りの中で、
結果がどうなったかということではなくて
その経過の中で自己肯定をしているか
自分として譲れない部分を把握できているかということ。
引っ越しに関する出来事の中で
そういうことのお勉強をさせられているのでした。
三つ子の魂百までも
「泣き止め」と叩き続ける母親に
あなたは自分で居ることをやめてしまったのだよ
いつだったか
そうミカエルは教えてくれた。