私の「発言することへの恐れ」が
「イエス・キリストの意識」につながることで
先日解放されていきましたが
それに続く変化が起こってきています。
やはり母親のことになってしまいますが・・・・・。
長い間母と私の関係を見つめてきた結果
私は母親を許さないことを選択しています。
許さない自分を許す、と言い聞かせています。
でもこれは
「自分を許す」ということは自分をジャッジしているのです。
母を許さない選択をした向こう側には
「自分を許す」ことしないといけない気持ちがあるのです。
これは母親を許せない自分を責めているということです。
このことに関する「自分を認めきれていない感情」が
このところ色々な形で出てきています。
「あれをすることは許されないのでは?」
「これは私が使ってもいいのだろうか?」
何度も経験してきた感情の沼に落ちました。
その嵐が通りすぎて今は不思議な感覚になっています。
母を許さないと決めたそのまま、その状態のままで
その状況を俯瞰して見ている自分を感じています。
母を許さないことは良くも悪くもなく
そういう出来事があって
許さないという答えを出した自分がいる。
それをそのまま見ている自分を感じます。
そのまま見ているのだけど
この心境とは別のところで
世の中には決して許されないこと
許してはいけないことが存在する
と言い切っている私がいます。
言葉で表すのが難しいのですが・・・・
許してはいないけれど
あぁ、そういうことがあったのよね
と思い出のように見ることができる意識になっています。
「イエス・キリストの意識」とは無条件の愛。
私が経験した無条件の愛は
相手を許して精算していくのではなく
許しても許さなくても
そのままの自分を無条件の愛で包んでいく。
キリスト様の愛とはそういう愛でした。
今日は
いつか見たことのある映像が浮かんできます。
白い龍に乗って空を飛んでいる少年。
聞こえてくる歌は
「ネバーエンディングストーリー」
メッセージは
「自分が自分の操縦席に座る」
終わりのないメビウスの帯。
自分に後悔を残さない。
負の遺産を断ち切って終わらせます。
今日もきらきら
エンジェルデー~~~~☆