「この中で紙袋に爆弾とか入れている人いないだろうね」
という主旨のことを試験官が言った。
緊張した受験生をリラックスさせるためで、
当時はマスコミ沙汰にもならなかった。
この試験官は後に私の卒研の指導教官となり、
就職先の世話までしてくれた。恩師であり恩人。
恩師に関するエピソード1
入学のために常磐線に乗っていた同級生が、
同じボックスシートにベレー帽をかぶって洋書を読んでいる男性がいて、
大久保事件の大久保を想起させ怪しんだが、入学したら先生だった。
恩師に関するエピソード2
知覚(特に、視覚・色彩感覚)を研究していた。
テレビのテストパターンの開発などにも関わったが、本人は色弱。
昔は化学・薬学を勉強するには、いわゆる色盲検査を受ける必要があったらしいが、
そのような検査をやめさせる運動を行った。
憤っていた1
東京大学の付属の中学校などは、双子だと無条件で入学できるなど教育研究を行っている。
が、所属していた大学の付属は進学校に堕落してしまった。
憤っていた2
後輩の研究を自分の研究として発表した先輩がいた、と憤慨していた。
(これはよくあるようで、私の時代にもあった・・・
他の専攻だが、課題のレポートを提出したら先生が自分の名前で学会に発表)
*連続企業爆破事件で指名手配されていたメンバーがらみのマスコミ報道で思い出したこと。